貝印はカミソリの製造を、今でもとても大切にしています。カミソリは、切れ味と安全性を両立させなければならず、そのための絶妙の技術があるそうで。全社員のヒゲのデータを収集して、商品作りに生かすほどの徹底ぶり!社内で一番ヒゲの濃い人は、いつも新商品開発に協力しているそうで・・・。
日本の刃物産業の衰退が止まらない中、なぜ貝印は成長を続けているのか。社長の遠藤さんを筆頭にした、ユニークでしなやかな経営にその秘密がありました。

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鎌倉時代からの刀鍛冶の伝統を持つ岐阜県関市。ここを創業の地とする100年企業・貝印は、実はグローバル展開で大成功を収めている刃物メーカーだ。「ポケットナイフ」や「カミソリの替え刃」から出発した貝印だが、今や世界で400万本を売る大ヒット包丁を生み出し、アメリカでは海軍も御用達のナイフを生産。貝印は、世界79カ国で展開している。日本の刃物産業が衰退の一途をたどる中、創業から106年、見事に時代を生き抜いている秘密とは?

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アメリカで約250店舗を展開するキッチン用品の店、ウイリアムズソノマ。その売り場で、客が次々と買っていくのが、「旬(SHUN)」というブランドの包丁だ。日本刀のようなあざやかな紋様が特徴で、欧米を中心になんと400万本を売る大ヒット商品。この包丁を開発したメーカーこそ、刃物の町・関市を創業の地とする貝印だ。
貝印の創業は1908年。当初はポケットナイフのメーカーだった。その後、安全カミソリの替え刃の製造を始めたことで、全国にその名を知られるようになった。以来、ハサミや包丁、爪切りなど様々な刃物を手掛けてきた貝印だが、大ヒット包丁を生み出したのは、3代目の現社長、遠藤宏治だ。老舗企業から生まれたヒットの秘密を探る.

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1989年、2代目が急逝したことにより、遠藤は33歳の若さで社長に就任する。ところが、ほどなくして大きな危機が遠藤を襲う。バブル景気の崩壊だ。100円ショップが台頭し、価格破壊の嵐が吹き荒れ、街には激安包丁が出回った。
「売っても売っても、儲からない。これに巻き込まれたら将来はない」。
だが、危機はさらに続く。アメリカの販売会社が円高の影響で債務超過となってしまったのだ。銀行からは「再建の余地はない。撤退が最善」と、最後通牒を突きつけられるほどの崖っぷちに・・・。それでも遠藤は諦めなかった。そんな中で生まれたのが、あの大ヒット包丁、「旬」だった!
「立ち止まっていたら下りのスカレーターに乗っていると同じ」そう語る遠藤は、刃物の町から世界に挑み続けている

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貝印は、小さなニーズもおろそかにせず、製品開発に挑み続けている。今、力を注いでいるのは医療器具だ。医師一人一人に、手術の術式を聞き込みオーダーメイドで作り上げている。例えば、皮膚切除の際に使う医療器具の「トレパン」。皮膚科の、しかも数が多く出る医療器具ではないが、貝印のシェアはなんと世界シェア50%に上るという。
この「トレパン」を使っている医師は、「この器具ができたことで傷口が小さくなり、患部の治りも早くなった」と高く評価する。貝印は医療界で、また新たな一歩を踏み出している。

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貝印社長

遠藤