45才の松本道弘②
当時45才の私の教え子は
ほぼ、私と同じくらいと書いてあったから、
今なら70才を超えている。
もう日揮にはいない。
ほっとする。
企業訓練から手を引いたあとも、まだ余韻が残っている。
あの命がけで海外へ飛び出した企業戦士たち。
商社出身の私には、
自分には何もない。
ゼロ(無)から有を造り出す、頭脳エンジニアだ。
信用状(Letter of Credit)が命だ。
という誇りがあったが、
プラントエンジニアのような設計図が書けるわけではない。
彼らの手には技術があった。
英語もめっぽう強い。
そんな一流のエンジニアたちが私に求めたのは、英語力ではない。
ディベート交渉術だった。
③へつづく!
明日も宜しく!!