去年の暮れに亡くなった。73歳だった。
私は明けても暮れても中島みゆきを敬愛しているので、自分でも意外なのだが、八代亜紀が好きだったことをしみじみと思っている。
好きさ加減はどれほどのものだったのかと思って、試みに、たくさんのベストアルバムの中から、あまり高価でない、2021年リリースの「八代亜紀ゴールデンベスト桜」を購入して聴いた。驚くことに16曲収録された全てを知っていて、カラオケでも歌えるほどに馴染んでいた。
なぜか。
彼女は、私が弁護士になった頃とほぼ同時期に、「なみだ恋」などのヒット曲を飛ばし始めたのだが、上記アルバムに収録されている大ヒット曲は、70年代のものがほとんどである。その頃は、今のネット環境と異なり、ラジオ、テレビ、テープなどで、例えば運転する車で、しょっちゅう彼女の曲を聴いて、口すさんでいたことを思い出す。
作詞作曲は、自らのものではなく、提供曲である。
詞は、ほとんどが悲恋、情念、別れ、死別、望郷である。
曲は、バラード、アップテンポ、民謡調と多様である。
歌では、このように彼女は若い時から、イメージを作られて、定着し、そのような歌手と分類され、そのような歌手として国民的に愛されてきた。
しかし、もう一つの特技、絵は、歌手のイメージとは全く異なるものだ。
静物、動物、メルヘンなど多彩な絵を描いた。一流の域に達し、内外から多くの賞を授与されている。彼女の絵を見れば、提供曲から作られたイメージとは対極の、個性が明確に見える。大地に自らの足で立ち、自らの美を探求している。
時にテレビに登場した時のトークは、ユーモアに溢れ、しかし真面目な人なのだなと思わせる物腰だった。
太くて優しい声と個性あふれる美意識、ユーモアトーク、やはり私は八代亜紀が好きだったことをいま確認している。
(2024年2月 斎藤浩)