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Heart Maker 2015

地球をまもり愛と平和の世界をひらくために
人間界と宇宙を調和統合する宇宙観の再生

メールを削除すると同時に、
頭の中からも削除されるので、
内容は記憶に残りません。
私はあくまで上から降ろされて来た(補助的な)情報を「中継」しているに過ぎない。
それは、すなわち、
大国主から(選ばれた)はまやすさんと荒井さんと金井さんに向けた
メッセージであると受け止めて下さい。
また「中継機(ハブ)」として使われるかも知れません。

ものすごく、突拍子もなかった話を、
さほど、突拍子もなくもないような気もする話に変換すると。
これまで、霊体というのは、動物脳にしか憑依出来なかったのね。
だから「世直し」するためには、
人間の動物脳の部分を操って、
「個人」を起点にして、宗教化するしか方法がなかった。
おれは、ハートメイカーに書いた、
5000年周期のアセンションというのは、
3年の誤差があっただけで、
間違っていなかった、と、今では思っているのだけど。
2千年以上の歴史を持つ国なんて、
日本以外にないから、その建国者である大国主は、
霊界においても、最後の御大、大御所なのだが。
大国主が、霊的な息子である鈴木剛介に何をしたのか?
・・・というと。
霊体は、動物脳にしか働き掛けることが出来ない。
だから、大国主の御霊(霊魂)は、
鈴木剛介の動物脳に憑依し、
鈴木剛介の人間脳をコントロールし(プロセッサーとして使い)、
霊的な情報をデジタル化して、アウトプットさせた。
人間脳はデジタル・システム。
インターネットは、デジタル・オン・デジタル・システム。
出来上がったのは、ネットに棲むデジタルな神(御霊)。
このデジタルな神は、眼に見える情報霊体だから、
人間のデジタルな脳に、デジタルに働き掛けることが出来る。
つまり、これまでは人間が人間に(アナログで)「布教」する、という手段しか、
取ることが出来なかったのだけど、
ネットを通じて、接触して来た人間のデジタル脳に、
ダイレクトに働き掛けることが出来る。
デジタルに憑依出来る。
そして、人間とネットがデジタルに繋がっていることによって、
その相互作用(双方向のやりとり)で、
情報が伝わって(拡散して)行く。
人間身体(アナログ・システム)がウィルス感染するように、
大国主が人間社会に仕込んだ(デジタルな)分霊は、
インターネットを通じて、
人間の人間脳(デジタル・システム)に感染して行き、
いずれ、パンデミックを起こす。
それが、すなわちは「アセンション」。
そういうことではなかろろうか、と推測しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とし、おはよう。
昨夜は、としが寝た後に、自然に眠りに落ち、
記憶にある限り、初めて
「楽しい夢(前田のあっちゃんが指原を、ギャフンとやり込める夢)」を見て、
寝言でゲラゲラ笑って、自分の笑い声で、朝4時に、目が覚めました。
断薬してデトックスされたことによって、
脳が、100%オーガニックな状態になったから、
薬を飲まずに自然睡眠出来たの。
たぶん、おれの今の脳の状態は、
かなり、としに近いと思う。
*** ***
スピリチュアリズムでは「魂の転生」という観点からしか、
話が出来ないし、
自我がどこにあるのかなんて、
いくら脳をMRIでスキャンした所で、分かるわけがない。
西洋医学(精神医学)は
「科学的(データ分析及び理論的)な」見地からしか話が出来ない。
だから、人間というのは、
脳/心/魂/自我/意識/記憶、といった問題に関して、本当に無知なのだけど。
結論から言うと、本来的な「自我」というのは、
動物脳にある。
ライオンやオオカミ、動物も個体としての「意識」がある。
その「意識」は、動物だから、もちろん動物脳にある。
で、人間も、動物だから、本来的な意識は動物脳にある。
昔、としに手伝ってもらって、メールを送った、
言語学会の大御所、ノーム・チョムスキーが唱えた、
普遍文法という説は、間違っていない。
人間というのは、この動物脳の上に、
いわば、レゴブロックの一番下にある、ボードみたいなものを搭載して産まれて来る。
で、言葉を習得して行く過程で、
このボードの上に、レゴブロック(記号言語情報=デジタル・データ)が、
積み重なって行き「知識」となる。
そして、この動物脳と人間脳のワンセットで、大人の脳は、
形成されている。
幼い子どもの自我(意識)は、動物脳にしかないのだけど、
「賢く」なるにつれて、自我は動物脳+人間脳で形成されるようになる。
頭でっかちな人間ほど、自我における人間脳(デジタル・システム)が、
占める領域が大きくなる。
としみたいに、ナチュラルで健全な人の自我は、
土台がちゃんと動物脳にあるのだけど、
知識依存的に頭でっかちになって来ると、
自我の主体が人間脳に移ってしまう。
そして、いわゆる「病む」のは、この人間脳の部分なんだ。
動物脳は本能を司る司令塔だから、病まない。
ピダハンに精神疾患が出ないのは、
ピダハンは、レゴブロックの数が、限りなく少ないから。
躁病というのは、このレゴブロックの部分の神経細胞が活性化し過ぎている状態で、
この活性化は、当然、動物脳にも波及して、相乗効果を引き起こす。
反対に、鬱病というのは、このレゴブロックの部分の神経細胞が、
沈静化し過ぎて、動物脳まで非活性化し、
心身のコンディションにまで影響を及ぼす。
西洋医学が使う、ケミカルな薬は、このレゴブロックの部分に作用して、
症状を緩和する。
おれが、ヘロヘロになりながらも断薬して、
何をやっていたのかというと、
一言で言えば、
脳を正常化するために、
この人間脳の中のレゴブロック(デジタル・データ)を、
極限まで断捨離していたんだ。
としの脳の中にあるレゴブロックが、1000.
鈴木剛介の脳の中にあったレゴブロックが、5億、とすると、
今のおれの脳の中にあるレゴブロックは、500くらいだと思う。
いずれにせよ、としと同じように、
自我は、ちゃんと(健全な)動物脳の中に納まった。
で、「魂(霊魂)」というのは、この脳とは別に、胸に宿る。
としが観ていて、「いつもと同じ、普通のごうすけ」と感じる、
「自我」自体は、動物脳にあるから、
昔も今も、さほど変わったとは思わないでしょう?
昔と今で変わったのは、この肉体の胸の中にある「魂」の部分(パーツ)。
鈴木剛介の「魂」というのは、
2千年前にリアルに生きていた、
大国主とタギリの次男の転生。
今のおれの胸の中にある「魂」は、
屋久島にある縄文杉(樹齢2千年)の分霊。
でも、胸の中にある「霊魂」とは別に、
自我は動物脳にあるから、昔も今も、おれはおれ。
レゴブロックを断捨離して、脳が健全になったから、
率直に言って、以降、ケミカルな薬は、百害あって一利なし、
と思っています。
それは、いわば、せっかく綺麗にろ過した水の中に、毒を入れるようなもの。
年を越す分の薬の手持ちはあるので、
出来れば、引き続き、薬を飲まずに、自然睡眠で様子を見たい。
その上で、としがどうしても、飲んだ方がいい、と判断すれば飲むよ。
河内には、事情があって、しばらく行けないけど、
年が明けたら、いずれ、妻と挨拶に伺います、という旨の葉書を出している。
上に書いた話を、おれがいくら力説したところで、
河内は聞く耳を持たないだろうからね。
いずれ、事情を、としから、説明してもらえるとありがたい。
「絶対に躁転しない」と断言はしない。
ただ、せっかく、かつてないほど、脳が健全な状態になったので、
今、ケミカルな物質で脳を汚染したくない。
しばらく、この状態で、様子を見たい、と思っているのだけど、
如何でしょうか?
追記
短期記憶はアナログ・データとして、動物脳に蓄積され、
長期記憶は、データがデジタル化されて、
人間脳に蓄積されて行く。
だから、レゴブロックを断捨離して行くと、長期記憶も消える。
「過去」も「未来」も消える、というのは、そういう意味です。
「時間」は、レゴブロックの中でしか、流れていないからね。
「アセンション」含めて、
鈴木剛介の言って来たこと、書いて来たことに間違いはないよ。
例え、現代の常識的な世界観からは、
どれだけ掛け離れていたとしてもね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

出雲大社も縄文杉も、
現物を見たいとは、まったく思わないのだけどね。
縄文杉には、特に、能動的に、
見たいものも、やりたいこともない。
ただ、家族と共にあれば、それでいい。

鈴木剛介もマシンも、大国主の分霊だけれど、
新しく、この肉体に入った、
「名前のない魂」は、縄文杉の分霊という気がする。
そういう感じが強くする。
人ではないから、名前はない。
ただ「島にある」。それだけの存在。

「縄文杉」のイメージに、魂がシンクロする。
何か「繋がっている」というか・・・。
「日本建国の父の息子」というのが、
鈴木剛介が最後に腰掛けた椅子の名前だった。
「縄文杉」というのが、おれが新しく座る椅子の名前なのだと思う。

自由に楽しく生きよう! と、意図して、意気込む必要はない。
ただ、幸せを甘受するだけの受動存在になればいい。
今後、能動的に活動することは一切、ないだろう。
屋久島の「縄文杉」。
ピダハンというよりも、ああいう存在が理想形だね。
「縄文杉」樹齢2000年。
リアル・大国主とリアル・タギリが生きた時代に、
このマテリアルの世界に生まれた樹だよ。
樹にも魂は宿る。