モンゴル株式、モンゴル投資、モンゴル経済情報 -36ページ目
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過去のモンゴル国経済

過去のモンゴル国経済


皆様もご存知のとおり、モンゴル国は1990年から民主社会に仲間入りし、経済的には、失われていた自由を取り戻して、市場経済の道を歩み始めまし た。それ以前の時代は、いくつかに分けることができますが、それを大モンゴル国が建設された1206年から16世紀までの時代、16世紀から19世紀末の 清朝支配下の時代、20世紀の90年までの社会主義計画経済の時代と、大きく分けることができます。この全てを話すには長時間の話になってしまうので、今 日は皆様に、モンゴル国家の高揚した時代と言える13世紀の成功経験から、わずかでもお話したいと思います。この時期にはチンギス・ハーンがモンゴル統一 国家を創設したことで有名ですが、ある意味で、この時から世界のグローバル化のプロセス始まったとも言えるかもしれません。これを誇りに思います。ユーラ シアを連なる交易を開始し、歴史上初めて紙幣を発行することで物々交換から、物とお金の交換を生じさせました。今日のインターネットネットワークの元とも 言える情報通信網が築かれたことによって、世界の統合や、今日の北東アジア経済統合の端緒となったことは歴史的な功績です。本年は大モンゴル国建設800 周年記念の年であり、国連では、この歴史的人物が世界の文化に与えた寄与を評価し、本年を世界中で祝うことを決議しました。モンゴル国の歴史をひもとけ ば、 16世紀から19世紀は、牧畜原料と鉱物資源に依拠した消極的経済でありました。清朝と漢人の抑圧から解放された人民革命勝利により、まったく新しい経済 の構造ができました。さらに社会主義国の経済協力構造に組み込まれたことにより、計画経済の道を70年間歩んだのです。この時期にはシステム的な欠陥によ り、モンゴルでは重工業が発展することなく、軽工業国とされてしまったのでした。私は過去のモンゴルについて、ひとつだけ強調したいことがあります。かつ てモンゴルの経済は、北東アジア地域諸国協力の接続者、すなわち積極的な協力者であったのが、その後の時代では、地域の政治情勢により、ひとつの片隅に追 いやられた、偏った協力関係を重視した消極的な国となってきたといえましょう。

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