緩和ケア病棟|いまここ|では、亡くなられた患者さんのことについて、スタッフで話し合う時間がある。

緩和ケア病棟でよくデスカンファレンスと呼ばれている時間。|いまここ|でも最初そう呼んでいたが、デスという言葉の肌触りがしっくりこなくて、今はライフ ビューイングという名に変更している。


ヒーリングパイプの音で黙祷してからはじめる祈りの時。

それは、ケアする者として、もっとこういうケアができたらと良かったにという後悔や、できなかったことへの自責の念を、分かち合う時でもある。

それは、次に来られる患者さんのケアに新たな視点を与えてくれる時でもある。

それは、亡くなられた、あの人の知らない一面やエピソードに触れる時でもある。

それは、患者さんと過ごせたことへの感謝の時でもある。


それは、いつも病棟にこられていた家族を思い出す時でもある。

それは、患者さんに関わるスタッフ自身が癒やされる時でもある。

それは、亡き人を身近に感じる時でもある。

それは、自分が生きていることを感じる時でもある。

それは、死で終わらぬ、いのちを感じる時でもある。




(10月某日、病棟の空を急ぐ雲たち)


一刻を争い検査や処置に追われる、救命病棟や急性期病棟では、なかなかこの様な時間はとりにくいかもしれない。今生きている目の前の患者さんを、何とかすることが最優先だから。この様な時間は、非合理的な時間、あるいは無意味な時間とされるかも知れない。

でもそんな風に、僕たちは大事なものを見失なってきた気がする。

救命救急の場で、患者さんを全力で救おうとする場がとても大切な様に、緩和ケア病棟で亡くなられた患者さんを深く悼む場も大切なのだ。

いのちは、生きているものだけで成り立っているのではないのだから。

生と死で、いのちを分断する視点から、同じいのちの違う一面、違う層としてみる視点へのシフト。



病棟|いまここ|が、生きている者だけでなく、亡くなられた者だけでもなく、いのちそのものを大切にできる場であります様に。


(出雲の樹齢千年とされる椋の巨木)