今回は、コスプレでも非常に人気の高い『前田慶次』について書きたいと思います。
前田慶次こと前田利益は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、原哲夫の「花の慶次」の主人公にもなっていることで有名ではないでしょうか。
花の慶次における前田慶次は体が大きく、自らの道理で生き、自由を貫き通す奔放な男として描かれていました。
他の作品で描かれている前田慶次といえばゲーム「戦国BASARA」も有名ではないでしょうか。自由奔放で、祭りと喧嘩を好む男として描かれています。
前田慶次は、織田信長の家臣である滝川一益の甥・益氏の庶子として、天文12年(1543年)頃、愛知県旧海東郡荒子村で生まれました。母親が前田利家の兄・利久に嫁いだため、利久の養子となり前田姓を名乗って、慶次郎利益となった。前田利家とは叔父/甥の関係にあたります。
それから天正15年(1587年)、養父利久が没したこの年、慶次は前田家を出ます。前田家を出た慶次は、髪を剃って「穀蔵院飄戸斎(こくぞういんひょっとさい)」と名乗り、京都にその居を置きました。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの敗戦から撤退中の上杉軍に対し、山形城最上勢が追撃を仕掛けてくるのですが。この時、殿軍(しんがり)を務めた慶次の戦い振りは、三間柄(え)の大身の槍で迫り来る敵を次々と蹴散らし、上杉軍が兵を失うことがなかったと伝えられるほど見事なものでした。
慶次は、学問・芸事に通じた教養人としても知られています。関ヶ原の戦いの翌年、慶長六年(1601年)に京都の伏見から米沢へ下向した時の事跡を自ら日記に記しており、和歌や漢詩、伝説に対する個人的な見解がちりばめられるなど、高い教養をうかがわせます。
また、教養人である一方で、人を小馬鹿にしたり、いたずら好きな一面を見せることもありました。有名な話では、叔父の利家を自宅に招き入れ、水風呂に入れさせるという逸話があります。
戦国の世を自由奔放に生きた男、前田慶次。彼の生き様に憧れる人は少なくないのではないでしょうか。
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