伊達政宗 | Luxcloth<ラグズクロス> ショップブログ

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戦国武将の一人である伊達政宗は、今では漫画やゲーム作品などでも人気が高い武将の一人です。幼少時の病気により右目を失明し、眼帯をつけているというイメージが強い人物ですが、実際の彼はどういった人物だったのでしょうか。

・生い立ちから元服まで

1567年9月5日、出羽国(現在の山形、秋田県)に生まれました。幼い頃に天然痘(疱瘡)にかかり右目を失明します。それを忌み嫌う生母が政宗の弟である小次郎を次期当主にするため政宗を毒殺しようとする騒動につながったとされています。1557年に元服し、「伊達藤次郎政宗」を名乗るようになります。ちなみに「政宗」の名は父・輝宗が室町時代の第9代当主、大膳大夫政宗にあやかって名付けたもので、この大膳大夫政宗と区別するべく藤次郎政宗と呼ぶことも多いようです。

・家督相続から関ヶ原の戦いへ

1584年10月に18歳で家督を相続し、伊達家17代を継承します。政宗は若年を理由に辞退を申し出ますが、一門・重臣の勧めを受け、家督を譲り受けました。その後、かつての伊達家の繁栄を取り戻すため、最上氏・芦名氏などの周辺の勢力を討伐していきました。

しかし、中央では織田信長の跡を継いだ豊臣秀吉による天下統一事業が着々と進み、政宗のところにも何度も停戦命令が届きます。それを黙殺し続けていた政宗でしたが、当時伊達家と同盟を結んでいた北条氏の小田原城攻めが開始された段階でとうとう秀吉の下に屈しました。

その後の関が原の戦いでは、徳川家康の東軍側に付き、伯父の最上義光等、東北諸大名と共に会津の上杉景勝を牽制する役目を担います。

・美食家として

伊達政宗の晩年は美食研究を行っていたとされており、日に1~2時間は執務室に篭り、朝夕の献立を考えていたそうです。中でも「白鳥の塩漬け」は幕府に献上するほどの自慢の一品であったと言われています。そうした政宗の美食研究の結果、誕生したものが「ずんだ餅」「凍み豆腐」であると言われています。

・サブカルチャーから見る伊達政宗

冒頭で述べたように、伊達政宗は現代においては漫画・ゲーム作品で根強い人気キャラクターとなっています。人気ゲーム「戦国BASARA」においてはこのゲームを代表するキャラクターの一人となっており、多くのファンが存在しています。