私のお知り合いには直接関わりのある方はほとんどいないと思いますが、
度々私の話に出たり、舞台を観に来てくれたり、間接的に知っている方がいるのでこちらでもご報告させてください。
私の父、中川信幸
2021年8月6日 息を引き取りました。
実は一年ほど前から闘病していましたが、かなり急速に容態が悪くなり、私たち家族もまだ信じられない気持ちです。
父が旅立つ前、
4日前まで電話やzoomなどでおしゃべりをしていました。
3日前まで少量ではありますが食べていました。
2日前まで自力で立ち上がっていました。
最期まで、誰にもトイレの介助をさせず、立ち上がるのを諦めず、痛みや苦しみにも立ち向かっていました。
本当に我慢強く、信念を持ち続け、生き抜く姿を見せてくれました。
母、私、妹の3人で見送ることができたのですが、私たちがシャワーを浴び、順番に仮眠を取り、少し落ち着いた深夜のことでした。
今際の際まで空気の読める、愛に溢れたダンディでカッコいい最高のお父さんです。
71歳
8月8日が誕生日なので、もう少しで72歳。
覚悟はしていたものの、想像の一万倍つらいです。
私は家を出て15年以上経つので実際年に数えるほどしか会っていませんが
それでも、自分を作ってくれた遺伝子の半分がいなくなったことの喪失感がものすごい。
ちゃんと順番通りでよかったねと自分に言い聞かせながらも
人生80年といわれるこの世の中、もうちょっと生きてくれてもいいじゃないかという気持ちが拭えません。
もっと話したかった
もっと旅行とか行きたかった
もっと美味しいものを一緒に食べたかった
いや
私と一緒の時間が少なくてもいい
そんなに話せなくても、旅行に行かなくてもいい
ただ、母のそばで元気に生きていてほしかった
後悔はたくさんあります。
もっと出来ることがあったんじゃないか
あの時なんでイライラしてしまったんだろう
部屋を離れてしまった間一人で寂しかったかもしれない
私がしたことはお父さんがして欲しいことだったのだろうか、余計なことをしていたんじゃないか
もっと、もっともっと、大切にできたんじゃないか
一生後悔し、一生やれるだけやったと弁解しながら、生きると思います。
父がいなければ、私は芸術の仕事をやれることはなかったのではというくらい大きな力で応援とサポートをしてくれました。
私の力を信じてくれたことに最大の感謝を。
人が大好きで、疑うことをせず、信念を曲げない。
愛し愛される人でした。
ありがとうを何度言っても言い足りない。
お父さん、会いたいよ