旅と私 ④
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先ほどの続編になります。
よろしくお願いします。
そこにサイババが微笑みを湛えて、佇んでいた。
例えサイババに似ていなくとも、このなんちゃってサイババ占い師さん、
まつげバシバシの垂れ下がった邪気のない目をしていて、前に書いた100発100中の私の第一印象は難なく合格点であった。
実際、占い師の感想をつらつらと書いてきたこの文面は後から思い返せばこうだった、と言う感じである。
彼は登場し、にこっと微笑んだと思ったら早速私は名前と生年月日、生まれた時間と場所を書かされ、それを手に奥に引っ込んで行ってしまったからだ。
待つこと20分。
彼は手に10センチの厚さはあろうかというA4サイズの書籍を持ち(占星術の専門書と見られる)ニコニコと再び姿を見せ、第一声は
「あなたは蟹座です。」
私は12月生まれで、定番星占いでは射手座と言われる。
その場では簡単な内容を掻い摘んで教えてくれたのだが
・ ダイナミックで変化に富んだ人生を送る
・ 結婚は○歳までに必ずする(あと3年でその年だった笑)
そして極めつけは
・ あなたの旦那さんのファミリーネームはS か F のつく人
私は顔には出さないが、内心ぎょっっとし心拍が倍近く跳ね上った。
そう。現・旦那のファミリーネームはS 。
白状すると、スリランカ入りする1ヶ月前に現・旦那と知り合っており、
彼の熱烈アプローチに 「ま、付き合うぐらいなら、いっかぁ」
と遠距離交際を始めたばかりであった。
まさか…ね。まさかなぁーと私は平静を装いながら、
恐る恐る聞かずにはいられなかった質問を口にした。
「あの…私は、結婚によって大きな変化って何かありますかね?」
彼はすぐさまちょっと手をみせて、と私の左手相を天眼鏡で観た。
彼の目はカリスマ占い師(?)のような真剣な光を放ったかに見えたが、それはほんの一瞬で消え、まぶしい位の笑顔で迷いなく言った。
「ああ!あなたは結婚で日本から出て外国で生活することになるでしょう。」
爆弾発言であった。
詳しく占うには時間がかかるので、
後程、星図版と共に文面にして日本へ郵送するようにしたいと言うので、
郵送料金も合わせて鑑定料金を支払い、その場を後にした。
それから一ヶ月ぐらいたった頃だっただろうか。
無事にきちんと占い内容の入ったエアメールがスリランカから届いた。
書面にも再び、結婚についてとの箇所に
「あなたの配偶者は、あなたのいる場所から遠く離れた場所にいる。
彼との婚姻によって、自分の生まれた場所から去ることになる。」
とあった。
もう、わかったっちゅーに。。。と言う気分であった。
国際結婚を考えたこともなかったし、外国に滞在したいとは思っていたが
住んでみたいとは露にも思わなかった私である。
日本を起点にしての海外旅行だからこそ、楽しめるしストレス解消や癒しになるんだ
と言う事を、完璧に理解していた。
まー占いだし…。
たかが占い。されど占いだけど。
等と、半々に受け取っていた東洋占星術の結果、見事に当たってしまった現在である。
旅と私 ③
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初めて投稿します。
よろしくお願いします。
私は、インドやサイババに痛く興味を持ち寝ても冷めても、仏教、ヒンドゥ教まで手を伸ばして調べ続け、手の届く範囲本は徹底的に読み尽くしていた時期がほぼ1年間ほどあった。
何故それほど魅かれたのかは今を持って謎だが、その時から東洋占星術という物を、いつか一度経験してみたいと考えていた。
所謂「星占い」の、テレビや雑誌の大まかな占いしか知らず、本格的に生誕月日、時間を元にその時の星の位置を調べ占う占星術自体が初めてだった。
インドを訪れた際には機会に恵まれなかったそれは、
スリランカの地で実現することになる。
「Makeする旅」と言うコンセプトが売りのスリランカ専門の旅行会社に依頼し、占いをリクエストした客は私が第一号であると、担当のお兄さんは珍しげに言った。
但し、とお兄さんは言葉を続けた。
現地旅行会社があちこち情報収集した結果によるとプライベートの旅でスリランカ入りし現地の友人と共に占いにやってくる日本人は、たまにいるそうである。
これも7年ほど前の話なので、現在では変わって来ているかも知れない。
スリランカ滞在4日目に、占いの予定は組まれていた。
現地ガイドの顔の広さと知識とツテで、占い師を探してもらったと事前に聞いていたので、いい占い師かどうかこれも運だなぁ と出たとこ勝負の気分だった。
ごく普通の住宅地の中を右折、左折を繰り返しながら進んでいく乗用車に揺られながら、不安と期待でざわつく胸を、押さえていた。
到着先は、何の変哲もない周囲の家々と同じような石作りの一軒家で、特に占いを謳った看板を上げている訳でもなかった。
事前の情報がない限り、誰もここに占い師がいるとは解らないだろう。
車が止まるのは珍しいらしく、おまけに中から降りてくるのは外国人。
あちこちからポツポツと人が集まって来て、私はすっかり動物園の珍獣のようだった。
ガイドさんに招かれるままに家の中に入ると、外の暑気が嘘のようにヒンヤリとして気持ちいい。
玄関から幅1メートル長さ3メートル位の通路があり、大人3人用大の簡素な板作りベンチが壁際左に置いてあった。
そのベンチに座り、これがスリランカ風の家かぁとしみじみする間もなく、
奥の半開きになっていた木製の扉が音を立てて動き、
白い貫頭衣を着た体格のいい太鼓腹の男性がのっそりと姿を現した。
私は固まり、目が点になった。
続・遺恨
タイの警察機構は、上下関係が軍隊のように厳しい。
上官の命令は絶対
であり、召集がかかった場合は例え休暇中であろうと直ちに呼び出しに応じなければならない。
もしそむいた場合は、即日クビだそうだ。
任務は公私区別なく、Gは夜中にバイ○グラの買出しを命じられたこともある。
Gは数千人の部下を持つ立場になっていたが、部下が多いと言うことはその分
責任が当然重くなると言う事だし、中間管理職である事に違いはない。
上司は、Gに恨みを晴らす機会には事欠かなかった。
Gの部下の失敗は、Gの采配ミスとしてここぞとばかりに攻撃される。
言葉だけの叱責ではなく、拳銃で頭を殴打され6針を縫う怪我を負ったこともある。
左遷してしまえば良さそうなものだが、執念深い上司は決して簡単には終わらせなかった。
そして一番の嫌がらせは、
「帰宅させない」であった。
おまけに携帯電話も取り上げられ、連絡手段を断たれた。
(その時のGの職場は他の電話回線は一切なし。)
こうしてGは殆ど禁固刑罰を受けているような中で、約1年近く警察の施設に
寝泊りしながら、虐めに我慢しながら仕事を続け
(上司の目を盗んでは、他の人の携帯を借りて電話をかけたりしたが)
上司の機嫌のいい時に解放されるまで、耐えに耐えた。
晴れて自由の身となったその日、彼は早速、嬉々として奥さんに
「やっと帰れるよ!!」コールをしてイソイソと自宅に向かった。
だが、到着後彼を待っていたのは
冷めた目で彼を見返す奥さんと、彼女のサイン入りの離婚届だった。
1年。 短いようで長い1年。
その間に、彼の女癖の悪さを知りつつも結婚し、結婚後も改まらない彼を見ぬ振りをしていたが…思うところがあった、という所だろうか。
ところで、彼が上司の恨みを買った理由。
案の定と思われそうだが、やはり 女 だった。
上司が気に入り目をつけていた女性が、Gに好意を持ち接近、
Gは迷わずゴチソウさまでした と言うわけである。
恨む方も恨まれる方も、どっちもどっちである。
性格の悪さでは上司の方が一枚も二枚も上であるが。
Gは離婚されてもしょうがない!と意外にさっぱりしていたが、
身から出た錆と言うか、結局自らの手で墓穴を掘ったと言う事を、
まだ解っていない。