自傷の効用 | 学白 gakuhaku

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精神科医 斎藤学のコラム

5月8日のグループSV(スーパーヴィジョン)の話がまだ終わっていない。その間にも日々は流れ、進み、5月22日(金)には第2回目のSVグループも終わってしまった。その翌日の土曜日の午後には母校・麻布学園のPTA総会に呼ばれて「スマホ時代の思春期のココロ」なる講演をしてきた。

あの学校の狭い校門を通るのは何年ぶりだったのだろう。確かフランス政府給費留学生の試験に受かって、フランス大使館の書記(?)の女性から一連の書類を出すように言われた中に出身高校の卒業証書というのがあって、当惑しながらあの門を通ったのが最後だったと思う。その時私は30か31歳のときだから今から40数年前。こういう計算をするたびに「おい、おい」 と思ってしまう。「おいおい、それは誰か他の人のことだろう」と。

話を戻す。5月8日のグループSVの際に最初の症例報告者となった研修生から出された症例の一つに自傷行為があった。この報告者(女性)は特別支援学級で高校生を担当している教師で、担当する高校生のIQは70台から40を切るものまで様々。症例のI.P.(identified patient/家族ないし組織の中で患者と目されている人、家族療法から発生した用語)も、この問題を抱えていた。体をカッターや鋏で斬る、突く。頭を壁に何度もぶつけるなどの自傷行為が繰り返されるとすれば、その行為はその個人にとって何らかの効用があるのだろう。

自傷を繰り返す人自身に訊くと「気持ちがスッとするから」という。不快な「ウツの雲」が頭の内外を取り巻くとき、大声で他人を罵ったり、我が身を切ったりすれば、抑うつ気分は多少改善する。「痛みは、それを感じる自己という意識を鮮明にする」ので、他人の思惑のアレコレのうちに曖昧化しかかった自分を取り戻す効果がある。

自傷の痛みは脳内のアドレナリンを賦活させ、やがては鎮痛・快楽物質β-エンドルフィンの湧出に至るのではないか。と言うのも、長い臨床経験の中で私は、「一斬りしないと眠れない」という人に会っているからである。20代半ばのその人は毎朝血糊の付いたシーツを引っ張りながら起きる。注意しないとその時点で血餅が剥がれ新たな出血が起こり、それについては慌てるそうだ。睡眠導入剤はこの際救いにならない。というのも、彼女の自傷行為は複数のクリニックで投与された数種の睡眠剤の影響下に行われているからだ。睡眠薬の効果で短時間寝てからひどい過食をし、その間のことを覚えていない、というタイプの過食癖は珍しくないが、この女性の習慣的自傷もそうした過食癖と同様、一種のアディクション(嗜癖)と見なされるべきだろう。そういうわけで自傷は心的苦悩を身体的疼痛という現実的で対処可能なものに転換するという利点がある。

自傷行為はまた、贖罪としても役立っている。そうは見えないかも知れないが、自傷者は自らを憎んでもいて、周囲の人々(親や配偶者)に申し訳ないと思っている。だから「自己処罰のために斬る(叩く)」と彼らが言うのは、あながち嘘ではない。

それに、壁に頭をぶつけるにせよ、手首などを切って流血するにせよ、自らの苦悩を分かりやすく表現できるという利点もある。ただし、このことを当人にほのめかすことをしてはならない。自傷癖を持つ人は常にそのことで自らを責めているので、それを他者から指摘されると、それとわかるほどに強引で致命的な自殺を図るからである。

自殺は自己表現の手段であると同時に、最も効果的な抑うつ・失快楽からの脱出法である。確か、そう指摘していたのはMarsha M. Linehan だったと思う。自殺は最も効果的な脱抑うつ法、だが副作用が強すぎる、と言うのは彼女らしいirrevarent(失礼な)、しかし気のきいた言い方だ。

自傷行為を自殺の試みから分けようとするあまり、そこにある死への憧憬を軽視してはならない。処方薬の過量服用といった比較的安易な自傷行為を繰り返した後に、目張りした自宅トイレの中で七輪炭団という、当時流行していた方法で、しかも細いビニール製(?)の紐を首と両手首に何重にも巻きつけ、紐の一端をドアノブに回して起座位で死んだ例があった。

最も壮烈なのは首や肘の動脈を斬るもので、この場合、噴き出した血が忽ち天井を真っ赤に染める。自験例で、これを3回(もっとやったのかもしれないが、私が知る回数)繰り返した女性がいる。1回やるとやや気分が安定するのだが、希死念慮は強く、実家の父親が泊まり込みで監視するという事態が続いた。最後の肘動脈斬りは娘が中学に入ってからと記憶している。娘が4歳だったときが初回で、これもトイレの中。気配を察したものか、ドアの外から「ママ、ママ!」と叫ぶ娘の声を、この人は聞いていたそうだ。この娘は今、上野の芸大にしか進学しないと浪人を続けている。その娘を困ったものだと言う女性の顔を見ながら、「こういう話が出来て良かったな」と私は思う。

どんなに血まみれであっても、自傷行為はいずれ止まる。私たち精神科医にとっての真のクスリは時の流れだ。だから私は時間を敵にまわすような治療法を取らない。

     〈参考〉「アディクションと家族」23巻4号 特集:自傷、自死

「アディクションと家族」自傷、自死