あれから4年 | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

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Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

あれは4年前の

京都市長選投票日の

前日の事。

 

僕は、

母と買い物に行く為に

実家に向かった。

 

そして

驚いた。

 

その年の

正月には

寝たきりで

散歩にも行けなかった

母が

ピンピンしていたのだ。

 

今まで

一度も着たことのなかった

服に袖を通し、

化粧をして

十歳は若く見えた。

 

前日に髪を切り

大好きな伊勢丹に行って来たようだ

(訪問介護士との連絡帳で発覚)。

 

「お母さん、どしたん?」

 

僕は

呆気に取られて

まさに

顎を落とさないように

そう訊いた。

 

「いつまでも寝てたら

あかんやろ」

 

80歳の母が

少女のような笑顔を見せた。

 

訪問介護と

デイサービスを活用し、

週に2回は

実家を訪れていたが

土曜だけ一人になっていたので

たまたま

週末に京都にいた僕は

急に母の顔を見たくなり

彼女を買い物に誘ったのだ。

 

古着も

古本も

中古レコードも

中古自動車も

誰が触っていたかわからないと

汚いと嫌っていた母が

唯一

「私、この車は好きや」

気に入っていた

黒の993で

母としばしのドライヴ。

 

「こんな車で

私みたいなおばちゃんと

外出してええんか?」

 

嬉しそうに笑っていたな。

 

実家に母を送り届けると

僕は母に別れを告げた。

 

「高校の先輩が

市長選に立候補して

今から応援に行くねん。

明日投票日で

今日

最後の演説を聴きに」

 

と。

 

長年、

毒舌と否定で

僕を散々苦しめた(笑)

母が

満面の笑みを浮かべ

 

「今日はありがとうな。

気いつけて帰りや」

 

僕に手を振ってくれた。

 

その夜、

僕は

三条河原町で行われた

福山和人候補の

最後の演説を

聴き入った。

 

もの凄い人だかりで

僕は

彼の勝利を確信していた。

 

今までの市長選の演説で

こんなに人が集まったのを

見た事がなかったからだ。

 

しかも

すごい熱気!

先輩の口調だけではない。

集まった人々の賛同の声が

寒い京都の夜に

響き渡っていた。

 

20時を回り、

選対本部に

僕も駆けつけた。

先輩の挨拶を聴いて

関係者の皆さんに労いの言葉をかけ、

選対のメンバーの

広海ロクローさんと

守田敏也さんと

食事に行った。

 

恐らく

その時間に

母はこの世を去った。

 

翌朝、

訪問介護の方に

母は

遺体で発見された。

 

死因は

ヒート・ショック。

 

彼女は

自分の死期を悟っていたのだろうか?

僕が

急に彼女に会いたくなったのは

虫の知らせ??

 

同じ日の

夜には

先輩の落選のニュースが流れた。

 

僕は

泣いた。

 

声を出して

泣いた。

 

あれから

4年。

 

早っ!

 

明日は

京都市長選の

投票日だ。

 

先輩が

忘れ物を取りに・・・と

再挑戦されている。

 

あれから

4年、

僕は

進歩?

成長?

したのだろうか?

 

少しは

人の話を

聞けるようになったかもしれないな。

 

Kyoto Jazz Massiveの

2ndアルバムをリリースし

ヨーロッパでのライブ活動を再始動。

いくつものフェスに出演しているし、

ロンドン公演は

3年連続でソールド・アウトだ。

 

厳密な命日は

2月1日だけれど

第一日曜だったから

4年前の明日に

母を失った感覚がある。

京都市長選の朝に

彼女の死を

知ったから。

 

ヨーロッパのレコーディングを

リモートに切り替え

日本にいるものの、

月曜のミーティングは

予め別日にリスケしてあったから

墓参りに行くかな。

 

僕の近況と

先輩の選挙の結果を知らせに・・・。

 

(写真は昭和40年に叔母が別府から母宛てに出した絵葉書)