寝込んで良かった
とは
変なタイトルですが、
寝込むことにより身体を休めることができた効果なのか、
視力が回復、痩せた、髪がツヤツヤ
という効果が。
よっぽど疲れていたんですねー、わたし。
あ、髪がツヤツヤは一時的なものだったか、今はパサついてますw
視力が回復したことで、読書ができるようになり、テレビも見られるようになりましたよ。テレビはワイドショーのハシゴ。倫太郎とキムタクドラマも見ましたよー。日本のドラマ見るのは久しぶり。
そして読書のきっかけは
この本
「わが母最後のたたかい 介護3000日の真実」相田洋 NHK出版
この本は献本していただいて読み始めたのですが、読みごたえある素晴らしい一冊でした。本のことはまた別の機会にお話しますね。
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いつもありがどごじゃいま~す。
ごぶさたしています。
3月13日の更新以来今日でちょうど1ヶ月。
まさにその日3月13日の夕方から原因不明の高熱で2週間寝込みました。そのあとも時々熱が出て、体力気力食欲全てがなくなりただひたすら解熱剤を飲んで横たわるのみ。
辛かったです。
原因がわからないって気持ち悪いものですね。検査をしても何も出ず。発病から一週間後に手の甲だけに水疱ができ、今もうっすら跡が残っているので、多分何らかのウイルスが体内に入ったのでしょう、とのこと。
何らかのウイルスってなんだよっ!
解熱剤を飲んだ時だけ一時的に熱が下がるのでその時にごそごそ動き出してまた熱が上がるとぐったりの繰返し。予定は全てキャンセルしてね、たくさんのかたにご迷惑をおかけしました。
ご飯を少し食べられるようになったとき、梅干しの美味しさに感動しましたよ。
で、今はほぼ体調も戻ったのですが、まだダメなのが味覚。味は解るのですが、何を食べてもそんなに美味しく感じられないんです。なんですかね?
とはいえ熱で一時的に減った体重は無事?戻りました。
というわけでボチボチとブログも再開しようかな?と思います。まだしばらくは疲れすぎないように本当にボチボチになると思います。
お休み中、心配してメッセージやお手紙をたくさんいただきました。本当にありがとうございました。
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まさにその日3月13日の夕方から原因不明の高熱で2週間寝込みました。そのあとも時々熱が出て、体力気力食欲全てがなくなりただひたすら解熱剤を飲んで横たわるのみ。
辛かったです。
原因がわからないって気持ち悪いものですね。検査をしても何も出ず。発病から一週間後に手の甲だけに水疱ができ、今もうっすら跡が残っているので、多分何らかのウイルスが体内に入ったのでしょう、とのこと。
何らかのウイルスってなんだよっ!
解熱剤を飲んだ時だけ一時的に熱が下がるのでその時にごそごそ動き出してまた熱が上がるとぐったりの繰返し。予定は全てキャンセルしてね、たくさんのかたにご迷惑をおかけしました。
ご飯を少し食べられるようになったとき、梅干しの美味しさに感動しましたよ。
で、今はほぼ体調も戻ったのですが、まだダメなのが味覚。味は解るのですが、何を食べてもそんなに美味しく感じられないんです。なんですかね?
とはいえ熱で一時的に減った体重は無事?戻りました。
というわけでボチボチとブログも再開しようかな?と思います。まだしばらくは疲れすぎないように本当にボチボチになると思います。
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百済の古都プヨの近代建築巡りもこれが最後の訪問地。プヨで最も古い教会「金寺里聖堂(グムサリ・ソンダン)」を見に行きました。
敷地の中には真ん中の旧聖堂(忠清南道有形文化財148号、1906年築)、左の旧司祭館(現在は事務室、1913年築)、右手の新しい聖堂(1968年築)があります。
旧聖堂から見学。外壁は赤とグレーの煉瓦で装飾された木造の建物。
初代の神父が設計して中国人技術者が工事を担当し、6年もの歳月をかけて1906年(明治39年)完成。外壁に使われている赤とグレーのレンガも彼らがこの土地で直接焼いたものなんですって。
建設当初の屋根は瓦で作られ、その後建物が屋根の重みに耐えきれず、壁に亀裂が入ったため1928年トタンに吹き替えられたそう。
元々教会の建設候補地は別のところで、その一つがこの前に見学してきた窺岩里ギュアムニだったというから偶然とはいえ、同じ日に窺岩里と金寺里を訪問することになったことがちょっと嬉しかったり。
聖堂の内部は木の柱が中央にずらっと並んで屋根を支え、空間が二つに分かれています。これは当時の「男女席を同じくせず」の儒教思想の影響とか。男性と女性が分かれて座るようになっていたらしい。同時期に各地で作られた「ㄱ字(キオッチャ)」鉤の手の教会と同じ発想ですね。
聖堂は何度か修繕がされ、最終的には創立100周年を迎える2013年を前に全面的に修繕がなされたそう。大部分を解体し、レンガは30%のみがオリジナル。屋根はトタンから銅板に。また、元の図面があったわけではないので、信者や地域のお年寄りの証言から図面を引き、それに基づいて修繕がなされた、ということなので、現在見られる姿は建築当初の姿そのものではないのかも。そんな理由もあり、古さの割に道指定の文化財止まり。
こちらは司祭館。1913年築。現在は事務所や会議室として使われています。私は中国や台湾へ行ったことがないのでよく分からないのですが、中国の建築様式なのだそうです。中国そのものなのか、韓国のテイストも入っているのか、どなたか詳しい方がいらしたら教えてくださいませ。
韓国には割と韓中折衷の建物が多いけど、この教会建設にも携わった中国人技師という存在が当時の建築業界では大きな存在だったのかも。
中に人がいらしたので、お願いして内部を見せていただきました。お仕事中失礼します。外観に比べ、内部の方が建築当初の雰囲気を残している感じ。
出窓部分の装飾がファジーに歪んでいていいですね。玄関を入ると左右振り分けでこの大きさの部屋が二つあり、窓からは目の前に広がる水田が見えるようになっていました。
敷地の中で一番大きな建物は近代に建てられたモダンな現・聖堂。塔のデザインが大阪万博の太陽の塔のよう~(って例えが古いですね)。1968年築。完成当時の信者数1500人を収容できるようにとこの規模の聖堂を作ったそうです。
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旧聖堂から見学。外壁は赤とグレーの煉瓦で装飾された木造の建物。
初代の神父が設計して中国人技術者が工事を担当し、6年もの歳月をかけて1906年(明治39年)完成。外壁に使われている赤とグレーのレンガも彼らがこの土地で直接焼いたものなんですって。
建設当初の屋根は瓦で作られ、その後建物が屋根の重みに耐えきれず、壁に亀裂が入ったため1928年トタンに吹き替えられたそう。
元々教会の建設候補地は別のところで、その一つがこの前に見学してきた窺岩里ギュアムニだったというから偶然とはいえ、同じ日に窺岩里と金寺里を訪問することになったことがちょっと嬉しかったり。
聖堂の内部は木の柱が中央にずらっと並んで屋根を支え、空間が二つに分かれています。これは当時の「男女席を同じくせず」の儒教思想の影響とか。男性と女性が分かれて座るようになっていたらしい。同時期に各地で作られた「ㄱ字(キオッチャ)」鉤の手の教会と同じ発想ですね。
聖堂は何度か修繕がされ、最終的には創立100周年を迎える2013年を前に全面的に修繕がなされたそう。大部分を解体し、レンガは30%のみがオリジナル。屋根はトタンから銅板に。また、元の図面があったわけではないので、信者や地域のお年寄りの証言から図面を引き、それに基づいて修繕がなされた、ということなので、現在見られる姿は建築当初の姿そのものではないのかも。そんな理由もあり、古さの割に道指定の文化財止まり。
こちらは司祭館。1913年築。現在は事務所や会議室として使われています。私は中国や台湾へ行ったことがないのでよく分からないのですが、中国の建築様式なのだそうです。中国そのものなのか、韓国のテイストも入っているのか、どなたか詳しい方がいらしたら教えてくださいませ。
韓国には割と韓中折衷の建物が多いけど、この教会建設にも携わった中国人技師という存在が当時の建築業界では大きな存在だったのかも。
中に人がいらしたので、お願いして内部を見せていただきました。お仕事中失礼します。外観に比べ、内部の方が建築当初の雰囲気を残している感じ。
出窓部分の装飾がファジーに歪んでいていいですね。玄関を入ると左右振り分けでこの大きさの部屋が二つあり、窓からは目の前に広がる水田が見えるようになっていました。
敷地の中で一番大きな建物は近代に建てられたモダンな現・聖堂。塔のデザインが大阪万博の太陽の塔のよう~(って例えが古いですね)。1968年築。完成当時の信者数1500人を収容できるようにとこの規模の聖堂を作ったそうです。
最盛期には修道院を併設し、農場や信用組合まで経営する地域の中心的役割を担う大規模な教会に成長したようですが、その後地域住民が減少して規模が縮小したそう。
金寺里グムサリはプヨ市街地からちょっと遠い(12キロ程)けど、わざわざ連れて来てもらってよかった。つきあわされたドンセンはすっかりお疲れで、私がうきうき見学している間、車で休んでましたよ。振り回してごめんね。おつかれさまでしたぁ~。
부여금사리성당 (扶餘金寺里聖堂)
忠清南道扶餘郡九龍面金寺里334(ソンチュン路1342番ギル21)
충남 부여군 구룡면 금사리 334(성충로1342번길 21)
プヨ市街地から120番バスで45分금사리下車
電話番号 041-832-5355
参考サイト
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