2003年6月28日 | chamaのヨガのブログ★ちゃまぐ

2003年6月28日

・土曜の朝はプライベート・レッスンをさせてもらいに、六本木を南へ東京タワーへ向かって。ハンパな雨だったんで「傘さしてママチャリ」でバランスの修行しながら向かいました。いつもは空へ高い東京タワーも、曇り空で頭を隠されてました。

奥のほぉーっに東京タワー。

・土曜朝の六本木は、いろんな国の方々や夜勤明けの方々で、けっこう大盛況です。

・香港の夜の繁華街、LanKwaiFongでアシュタンガ・ヨガ・クラスを開講している旦那さんと、つい最近ご結婚なされたpunkinさんからのメールです。以前にも紹介させて頂きましたがpunkinさんは香港でのアシュタンガ・ライフを綴った「アシュタンガ日記」を公開してらっしゃいます。

・最近は「マッキントッシュ」関連の情報も豊富になってきて、相変わらず「OS9で3年前の環境」そのままの僕には「未来的」な新情報も盛りだくさんです。最新日記は↓コチラ
http://diary.lycos.co.jp/view.asp?QnDiaryid=35736&QsSortOn=R

「Chamaさん:初めてメールで『こにちわわ?』
このわわ?っていうやつ、アラレちゃんブームってわけじゃないですよね??(ちょっと気になってました)

毎日のHP更新ご苦労様です!楽しみに読ませて頂いてます★

さてさて、6/25日の日記の一番最後に
"「西の方のおっきなトコ」見ちゃったかな。今、担当してる「自分の一番小さいトコ」でも「観」よっと。何か変わるかも知れないし、きっと。 "ってあったんですが、これってどういう意味なんでしょう。。。

チャマさんの言葉っていつも深い意味が含まれていそうで、私の中では『問答』な感じです。
私はあまり仏教とか禅とかに詳しくなくて、きっと分かってないことがたくさんあると思うんですが、上の文章、なんか気になる?と。(笑)

さてさて、アシュタンガ毎日練習してます!頑張ってます?。日中は仕事があるので、夜のクラスに出たりもしてますけど、基本的には朝にささっ、と。
東京にいる友人から聞いたのですが、今、インド大使館で呼吸法/瞑想法などを教えているらしいです。ご存じですか?

大反響を起こしているらしいのですが。その友人いわく、『泣いたり、笑ったりしている人がいる』らしく、潜伏していた感情が沸き上がる経験をしているようなのですね。そういう話を聞いていると、日本にはやはり、ヨガや瞑想が必要なんだなああーと感じましたね。多くの人に癒されて欲しいなあ、と。

私個人レベルの話で言えば、アシュタンガを始めてからやっと体が変わっていって、最近やっと心の部分にも浄化作用が出てきたのかな?と。少しずつだけども。

チャマさんのヨガとの出会い、個人的な経験なども、いろいろ教えて下さいね!
香港にも日本人でヨガをしたい、という人が結構いるらしく、チャマさんのHP紹介したりしてます。
海外日本人アシュタンガ会なんての、作りたいくらいですよー。ぜひ考えてくらさい!(って、他人まかせなのか?!)私で出来ることであれば、何でもします!

ではでは、長くなりましたが、have a nice practice! 」
・僕の知る限りでは、日本で「アラレちゃんブーム」は起こってないと思います。そのへんの詳細については、最近「ヨガラギ」になられたT橋さんに聞いておきます。

・インド大使館情報、実は70でヨガ始めた母からチョット聞いてました。たまにヨガ関係の新聞の切り抜き貰ってます(^^; 学者の娘だからか、そういうの大好き(^^;

・「海外日本人アシュタンガ会」、イイですね。クラスにいらしてる生徒さんのお姉さんが、アメリカでアシュタンガ・ヨガやってて「教わってるの、この先生?」って僕のHPを逆に教えられたそうで(^^; ネットで世界は狭いけど「息づかい」までは送れない。

・で、言葉。気になるトコロは「気にだけ」なっといて下さい。ココでいろいろ書かせて頂いますが、所詮は言葉ですから。

・道元禅師は「正法眼蔵随聞記」の中でこんな風に言ってます。

・ちなみに「正法眼蔵随聞記」は弟子の懐奨(えじょう・漢字がチョット違うケド無いのかな)禅師と師・道元禅師の質疑応答を(当時としては)「易しい言葉」で「実際の生活に即しながら」道を歩む人の修行や心構えの有り様を説いています。

・この時、道元35才。弟子の懐奨、37才。若き道元が、強烈な情熱と志を持って「自分の信じる道」を語り、それを4年に渡って「年上」の懐奨が刻々と書きとめた「随聞記」。その2人共が、僕のアイドル。
で、道元曰く

近代の禅僧、頌(じゅ)を作くり法語を書かんがために文章等をこのむ、
是れ便(すなわ)ち非なり

頌につくらずとも心に思はんことと書出(かきいだ)し、
文章ととのはずとも法門とかくべきなり。

是れをわるしとて見ざらん程の無道心の人は、
よく文章を整へていみじき秀句ありとも、
只言語ばかりを翫(もて)あそんで理を得べからず。

・「頌」ってゆうのは「偈(げ)」とか「偈頌(げじゅ)」とか言ったりもするけど、禅宗的に言うと「悟りの境地を表現した詩」って意味。「法語」は「仏教の教義を説いた言葉」。

・そう「カタチの良い文を書かなくても、思ったままを書いたって教えは書けるし、文が下手だからソレを見ないようでは、見る方に道を求めるココロが無いのだよ」

・若干、自己弁護になってる気配もありますが(僕が悟ってるかどうかは別として)きっと今コレを読んでる皆さんは何かしらの「道」を求めてるんだと思います。でなきゃ僕のヘタヘタ文、ココまで読んでないでしょ(^^;

・でも言葉は、言葉。それも人の言葉。もちろん、それでも人は言葉でしか話せないのだけれど、今日は「土曜、曇りの禅日和」ってコトで、もいっこ言わせてもらおうかな。禅だって、ヨギのブッダからの展開なんですから、かなりヨガっぽい。

・「自得内証」

・僕は幸い誰かに「伝える」事を生業にさせて貰っていますが、伝えられるのは「カタチ」であって「外」であって、アシュタンガ・ヨガで言えば「システム」です。でも「僕の中」は誰にも分からないし、学ぶ方々も、最後は「自分の中」で「自得」するしかない。そして「自分の内側」で「証明」していくだけ。みんなの中に、多分おんなじナニカは有るんだけれど、絶対にみんなは同じじゃない。だからどの花もいつか咲くとキレイで、どの星も、それぞれいつか輝くんだし。

・今日は、まだ晴れないな。

ウチの窓から、超簡易パノラマ(^^;