みなさん、こんにちは。
今日は八ヶ岳で書いています。
春休みだけども、混んでいない。夏休み、冬休みはかなり混雑しているエリアだけども、春は別です。
子どもたちの春休み中は、年度末、年度初めで慌ただしいのと、お盆休み、暮正月とは違って会社員は休むという規定にはなっていないからでしょう。
この時期に動くのは、大学生や大学受験終えた高卒生たち。
思い出してみたら、私は18歳〜20歳は人生のどん底にいたし、20歳で起業して塾を開業したので、春、夏、冬の長期休み期間中はすべて講習で旅行は皆無。
私が始めて海外に行ったのは34歳で経営大学院のゼミの海外視察が初めて。
この時期に楽しむことをしてこなかったので、どのような感覚なのかはわからない。
でも、振り返るとあの暗黒の経験、その後の怒涛のような活動があったから、今があるのかもしれません。
この35年間、働くこと、遊ぶこと、学ぶこと、余暇を取ることが混然一体化していたため、今でも平日と休日を区別的な概念として便宜上分けているだけで、今でも実質的には区別がない状態。
だから、一つ一つの活動そのものが、仕事でもあったり、学びでもあったり、余暇でもあったりするわけです。
考えてみたら、学校の学習も便宜上、国語、算数(数学)、理科、社会、英語、音楽、体育、技術家庭、美術と分けているだけで日常生活ではすべてが一体化しています。
文章あり、計算あり、図あり、自然科学や社会科学的トピックあり、英語で書かれていたり、発音されていたり、スポーツやったり、歌ったり、料理したり、組み立てたり、描いたり。
もともと区別はありません。それを学ぶために便宜上分けただけ。それが勉強。
「分けるとつまらなくなる」という特徴があるため、子どもたちは面白くないと言うこともあります。
これは、大人も同じかもしれません。
仕事とプライベートを概念的に分けていると、仕事はやりたくないけど仕方なしにやり、休日は楽しむという思考になるかもしれません。
仕事を楽しんでいる人は、プライベートも充実すると聞いたことがあります。
「混然一体化」しているからでしょうね。
すると「人生は楽しむためにある」ことがわかってくるかもしれません。
まあ、人それぞれ、色んな人生ドラマがあります。
どのような人生にも、意味があります。
子どもたちへの教育というのは、そういう意味で、自分らしさを大切にし、活かしていくことを教えることなのだろうと思います。
その上で、できれば「楽しむ」という重要なワードを日々の中に入れていくことを教えていくことだと考えています。