父方の叔母のお見舞い行ってきた。

 

昨年は100歳を迎えた叔母。

百寿のお祝いのプレゼントを送った話などはblogに以前綴ったが、

彼女は 何年も施設に入っている。

 

彼女に会いたくてもコロナの影響で叶わず コロナが緩和されたそれ以降であっても

施設への面会をゆるしてもらえることはなく家族でも

アクリルで仕切られて 10分以内の面会と聞いていた。

 

当然 百寿のお祝いも 従姉妹の家に送るものであった。

 

昨日 施設に併設している 病院の個室に移ったと連絡が来た。

現在は 面会は可能だという…。

 

叔母の様子は 嚥下も出来ず、話すこともないという…。

 

しかし叔母は「うちの母親に会いたい」と従姉妹に

告げたらしいので 今の状況を知らせる連絡が来た。

 

母親と私たち姉妹と叔母と同じ日が誕生日の姪っ子とで出向いた。

 

個室は大きな窓があり 明るい部屋であった。

叔母はほんとに小さくなってベットに寝てた。

 

もう話すことも出来なくなってた。

 

コロナで会えないと言われた この数年間が悔やまれる。

コロナ前にあって話した時からかなりの月日が

経過したことを感じさせる姿であった。

 

ベットで寝てた彼女の耳元で名前を告げて

大きな声で私たち姉妹は語りかけた。

 

目を開け続けることも出来ないほど 筋肉がないであろう…。

瞼は閉じたままである。 

 

しかしながら私たちの声には確実に反応し 

質問に対しては 眉毛が動き、首を微かに縦に動かしたり

首を横にふる姿をみて私たちの声は届いてた様子を感じ取れた。

ひょっとして夢現なのかもしれないが 反応があると嬉しいものである。 

 

101歳を超えたが

綺麗な歯並びと しっかりした白髪。

 

「よう 来てくれたなぁ で 今は何をしてるんや?」とよく聞かれた質問

あの笑顔で話されることは 遠い昔の思い出となってしまっていたが 、

ずっと気になっていたこの数年間の思いであったので

再会が 出来たことは 嬉しいことでした。

 

私にできるのは祈りと痛みがないように ヒーリングを送ることしかない。

 

父親と特に仲が良かった叔母なので 弟の子供として小さい頃から

とても 可愛がってもらった。

最近 霊界から父親が頻繁に会いに来ているのは

叔母に関係しているのであろう…。と 直感する。

 

お見舞いのあと

私たち姉妹は色んな事を それぞれが感じながら 帰路に着いた日でした。

 

 

 

 

愛を伝えて

会える時に会い

話せる時に話し

笑える時に笑うこと

 

先に延ばす事なく

今ここに生きることはとても大切である。

 

 

 

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