656「我らの生涯の最良の年 」→社会復帰に苦悩する復員兵たち | 映画横丁758番地

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生きているうちに一度は(何度でも)観ておきたい映画について、変幻自在・巧拙緻雑・玉石混淆で書いています。

非常に幸いなことに、「戦争」という出来事に長らく無縁でいられた

近年の日本ではあまりリアルな問題として捉える機会がないよう

ですが、終戦の後になって生まれるいわゆる「復員兵」については、

どの国もそれなりの問題になる傾向があるようです。

 

たとえば、映画「ランボー」シリーズの第一作1982年『ランボー』は

ベトナム帰還兵が社会から孤立してしまう様子を、割合丁寧に描いて

共感を得ました。

もっとも、第二作目以降はやや荒唐無稽気味なアクションに終始した

感があって、本来の帰還兵問題は影を潜めてしまった印象には

なりましたが。

 

それはさておき、第二次世界大戦の終結後に、戦場から帰国し

新たに市民生活を始めようとする三人のアメリカ復員兵が、様々な

問題に直面する姿を真摯なタッチで描いたのが本作です。

 

一人は、家を空けているうちに自立した意見を持つまでにすっかり

成長した子供たちの姿に戸惑いを隠せないまま、戦場のトラウマに

よって復員後も酒を手放せないでいる者。

 

一人は、陸軍航空軍大尉としていくつもの勲章を得ながら、なかなか

思うような就職口を得られずに、貯金を使い果たした挙句に、結局は

後輩の部下として薄給で元のドラッグストアへの復職を余儀なく

される者。

 

さらに、航空母艦を撃沈されたときに火傷を負い、両手共が鉤型の

鉄製義手になって帰国した者。

この同郷の三人が、たまたま帰郷用の同じ軍用輸送機に乗り合わせた

ことで知り合い、町でそれぞれが元の生活に戻ろうと努める姿を

描いています。

 

その年のアカデミーの10部門にノミネートされ、うち9部門を受賞した

名作中の名作で、興行成績においても、トーキー時代以降の映画として、

1939年『風と共に去りぬ』(監督:ヴィクター・フレミング)以来の大ヒットを

記録したそうです。

その昔は結構硬派な作品でも歓迎されたということでしょうか。
 

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「我らの生涯の最良の年」 1946年 監督:ウィリアム・ワイラー  

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左から)ハロルド・ラッセル/ダナ・アンドリュース/

     フレドリック・マーチ/

 

帰還後の家庭になかなか馴染めず、酒を手放せない帰還兵に、

1931年『ジキル博士とハイド氏』(監督:ルーベン・マムーリアン)と

1946年の本作で二度のAW主演男優賞を獲得したフレドリック・マーチ

 

その妻役を、スクリーン上の「理想的な妻」との評価を確立した

『影なき男』シリーズのマーナ・ロイ

 

陸軍航空軍大尉役は、

1947年『影なき殺人』(監督:エリア・カザン)

などのダナ・アンドリュース

その妻役を、

1947年『虹を掴む男』(監督:ノーマン・Z・マクロード)

などのヴァージニア・メイヨ

 

義手復員兵には、演技は未経験ながら事故により実際に

義手のハロルド・ラッセル

演技はそれまで未経験だったようですが、本作で見事に

AW助演男優賞を獲得しました。

 

その彼を生涯に渡って支えようとする女性に、

1941年『偽りの花園』(監督:ウィリアム・ワイラー)※助演

1942年『ミニヴァー夫人』(監督:ウィリアム・ワイラー)※助演

1942年『打撃王』(監督:サム・ウッド)※主演

でデビュー後の三作続けてAW女優賞にノミネートされた

テレサ・ライト/(『ミニヴァー夫人』でAW助演賞獲得)

 

監督は、

1942年『ミニヴァー夫人』(出演:グリア・ガースン/ほか)

1946年『我らの生涯の最良の年』※本作

1959年『ベン・ハー』(出演:チャールトン・ヘストン/ほか)

で三度のAW監督賞に輝く名匠ウィリアム・ワイラー
 

 

アンティークな作品が多くて恐縮至極にございます。

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