太政大臣豊臣秀吉公の軍は島津軍を薩摩まで追いつめ、降伏させた。
我ら兵站奉行は、三月の出陣を待たずして尼崎と九州を行ったり来たりで、時には戦いの最中であることも忘れんばかりのものであった。
とはいえ、実際に忘れたわけではなく、我らの役目が重要であることは充分に解っていた。
奉行として取り立てられたのは少々不本意ではあったが、殿下の御為に働くという思いは何ら変わっていない。
そして、殿下の期待に裏切らぬようにと務めたつもりである。
島津が降伏した事により、九州も殿下の支配下となった。
これで、天下のほとんどが殿下のもとに置かれている事になる。
僅かに臣従を表明していないのは、奥州の豪族らと関東の北条ぐらいである。
しかし、それらが屈するのも、もはや時間の問題であろう。
もう戦などなくなるかもしれない。