肥後で起きた一揆も無事鎮圧し、我らの仕事はひたすら検地となった。

 そもそも今回の一揆も検地が原因といえる部分もあり、各地の土豪などを刺激しないようにこれを行うのはそんなに簡単なことではなかった。

 しかも、一揆が起きた肥後を任されていた佐々成政殿は、先日、殿下から切腹を申し付けられていた。

 失敗は死につながる事もある。

 我らは身を引き締めた。


 そして、京では殿下の念願であった帝の行幸が実施されている。

 信じられないほどの人数をもって御所まで帝をお迎えに上がり、私もそれに従った。

 石田治部少輔が言うには、この聚楽第と御所が人で繋がるように計算しているという。

 帝の行幸を行う殿下も凄いと思ったが、それを演出する石田もまた見事なものである。

 帝は本日は管絃の御遊などをお楽しみになり、自らも筝の所作を披露して下さった。

 帝は四日間聚楽第にご滞在のご予定である。

 まだ、この行幸に携わる身としては気を抜いてはいられない。