徳川殿の説得は実ることなく、北条氏直は上洛を拒否した。

 そしてついに、殿下は小田原に軍を出すことを決めた。

 それでも殿下は徳川殿を気遣い、手切れの文書を徳川殿を通して北条方へおくった。


 出陣は二月一日から三月一日。

 それぞれ、国主、領主たちに細かい指示の文書を出すこととなった。

 総勢二十万もの軍になる予定で水軍も多く導入される。

 領国を頂いたばかりである私は、今回の戦では兵站奉行としての仕事は与えられなかったが、それでも充分に忙しい日々が続いている。


 年賀の挨拶も兼ねての事だろうが、徳川家の井伊直正殿らが徳川殿の三男、長丸殿をつれて聚楽第へ参られた。

 徳川殿の長男は信長公に切腹を申し付けられ、次男は殿下のご養子となっておられる。

 よって、この長丸殿が徳川家の後継ぎとなるのであるが、徳川殿はこれを人質にしようとしている。

 これは、徳川殿が決して北条に味方することなく殿下に従うといった意志表示だ。

 これによってはじめて、私の使者としての務めが成功したとも言える。


 しかも殿下は、この長丸殿を上方風の出で立ちに改めさせた上で、駿府に連れて帰るよう命じた。

 殿下には、人質よりもその徳川殿の思いの方が嬉しかったのだろう。