殿下の軍に加わり、我らも京を出立した。

 この軍が通るために石造りに架けなおされた三条の橋はすでに完成している。


 その完成とほぼ同じ頃、徳川家に嫁いだ朝日姫様がなくなられた。

 豊臣家と徳川家を結ぶお人であったこともあり、徳川殿が北条側につくという噂もあったが、徳川殿はそんなそぶりを全く見せず、むしろ東海道の整備に力を傾けた。

 徳川家の先鋒酒井家次殿は先月の五日に駿府を発し、家康殿も十日には出立をしたと聞いている。

 その他にも、蒲生氏郷殿が二月七日に伊勢松坂を出立、前田利家殿は二十日、上杉景勝殿は十日にそれぞれ金沢と春日山を出たとの事である。

 さらに、それぞれの軍勢が小田原を目指し、昨日までに出陣を終えている。


 我ら豊臣本軍は、京で帝に節刀を賜わり小田原に向かった。

 関東の一大名に対し、これほどまでの大軍を持って挑む戦がどのようなものなのか、私には想像も出来ないことであった。

 ただ一つ言える事は、万が一にも負ける要素がないということである。

 たとえ徳川殿が北条方に寝返ったとしても、我らは負けはしないであろう。

 それだけの力が今の殿下にはある。


 この戦を最後の戦として世に平和をもたらせたい。

 というよりも、おそらくそうなるであろう。