兵糧が足りていないこともあり、糧道が確保できるまでの間軍事行動は平壌までとして、漢城を本営として死守する事が決まっていた。
その後、明の沈惟敬という者が講和の使節として平壌にやってきた。
平壌にいたのは小西行長殿である。
小西殿はもともと対馬の宗氏とも姻戚関係にあり、この軍に関して講和論者であった。
明側の要求は、まず五十日間の停戦であった。
こちら側としては交易の再開ぐらいしか要求していない。
この講和は、なんともいえない違和感を感じさせた。
このまま対陣を続けていけば、不利になるのは我らである。
それでも明はただ停戦を求めてきている。
停戦の期限が過ぎると、それを延長するのだ。
そして、ついに明の軍が現れた。
停戦はただの時間稼ぎであったのだ。
こうなったら戦うしかない。
小西殿、小早川殿の軍を漢城まで戻し、共に明の軍を迎え撃つ事になった。
そして、打ち破る事に成功した。
ただし、兵糧の問題は相変わらずである。