加藤清正の軍と、さらに島津軍が漢城に撤退してきたため、漢城には五万五千の兵がいる事になる。

 兵糧がどうしても足りない。

 殿下へは兵糧不足を再三にわたり申し出ていたが、やっと漢城撤退の命令が出た。


 明側でも本気で講和を考え始めたようで、小西と沈惟敬との間で再び講和の交渉が始められた。

 交渉の中で、明の講和使節が日本に派遣される事となり、我ら奉行衆が名護屋城へ案内した。


 殿下は、機嫌よく使節たちを茶でもてなしたが、その後殿下から講和の条件が書で渡された。


 この条件は、はっきりいって強硬すぎるものであった。

 なかでも、明の皇女を帝の后妃とする事や、朝鮮から人質をとる事などは認められそうにもなかった。

 朝鮮の地を割譲させる要求も含まれていたが、これに至っては小西が交渉していたこととは全く違ったようだ。

 小西や石田の考えは、朝鮮が殿下に臣従のかたちをとれば、朝鮮一国は返還するということである。

 なぜ、そのような話し合いをしていることを殿下に告げていないのか。

 おそらく交渉は決裂し、戦は続くであろう。

 残念なことだ。