非常につらい役目を受けてしまった。
軍装にて参るようにとのことで、行ってみると、千宗易殿の邸を護衛するようにとの命である。
宗易殿は豊臣家の茶頭であり、参内のために朝廷より利休の居士が与えられている。
もともとは堺の商人衆の一人であったようだが、今では豊臣政権の裏の参謀とも言えるほどの力を持っていた。
宗易殿には今月の初めより謹慎の命が下っていたが、本日、切腹が命じられたらしい。
私が京にいる時は何度か茶会に招いていただいたこともある。
茶の湯などには全く興味などなかったのだが、それでも宗易殿は一人の客人として扱ってくれた。
少なくとも死に値する罪などないと思われる。
それに、切腹のために軍を動員するなんてやりすぎのようにも思える。
それでも関白殿下の命とあらばやるしかない。
これは、上杉のため、越後のためだ。
宗易殿は見事に切腹して果てた。
後悔の念など全くなくまるで茶を立てるかのような所作であった。
私とどちらが武人であるのかわからなくなってしまった。
死ぬべき人ではなかったように思えてしょうがない。