朝鮮出陣という無謀にも思える行為は、名護屋と現地との間の情報通達が最も重大な問題であった。
名護屋在陣中にも石田殿から内情を聞かされてはいたが、そもそも現地の作戦すら統一されていない状況なのである。
石田殿や小西殿は和睦によって戦を収めようとしている。
一方、加藤殿らは完全制服を考えているようだ。
もちろん太閤殿下が完全制服を望んでおられるのだから、それも致し方のないことではある。
だが、冷静に考えればそれが出来るまでの戦力は整っていないのも明らかである。
太閤殿下は軍の素早い動きによる戦と、完全包囲による戦を得意としておられる。
この朝鮮との戦はそのどちらにもなりえないのだ。
六月より景勝様に供し彼の地に渡り、それは確信となった。
だが、「太閤殿下の政策に誤りがあってはならぬ。」
これは、石田殿の言葉である。
太閤殿下の採った策はすべて正しいものとしなければならない。
それが臣下としての務めであるとまで彼はいう。
そのため、太閤殿下の元に届く情報は必ずしも真実とは限らない。
それを知りながら渡海した私には、彼の地の書物を戦火から守り、持ち帰る事をその理由とし、気を紛らわせるぐらいしか出来ることがなかった。