伏見城が地震で倒壊したため、大坂城にて明の使節を迎えることとなった。

 昨日、使節楊方亨と沈惟敬は、明国皇帝の国書、金印、冠服などを殿下に捧げた。

 これを受けた殿下は上機嫌で、前田殿と徳川殿に饗応をさせた。


 しかし、今日になって事態は変わった。

 贈られた王冠と赤装束の衣服をまとい、酒宴を楽しんでいた殿下であったが、その後、皇帝の国書を読むように命じたのである。

 その時、その任に当たったのは承兌和尚である。

 殿下は、明国が降服したと聞いているようだ。

 だから国書には臣従を表す言葉が綴られているものと決め付けていた。

 もちろん明国は降伏などしていない。

 いや、もしかすると加藤殿に聞いていたのかもしれない。

 それでも殿下の心は期待でいっぱいであったに違いない。


 そして、国書が読み上げられた。

 「特に爾を封じて日本国王と為す」と聞いたところで場が凍りついた。

 この講和の責任者とも言える小西殿の狼狽を見ると、情けなくも見える。

 もちろん殿下は激怒した。

 二度三度和尚にその内容を確認し、手のひらを返したように二人の使節をその場から追い出した。

 殿下が上納されたと思っていた品は、下賜であったのだ。

 これによって再び朝鮮に出兵する事は確実となった。