北条を攻めるための出陣命令は、京より東側にいる大名に対しては例外なく発布された。
関白殿下に一度として謁した事のないものも同様である。
その中の一人に伊達政宗という男がいた。
関東に惣無事例が出された後も、東北を攻め回り、長年上杉と睨み合っていた会津の芦名家をも攻め、芦名義広を会津から追い出した。
その伊達にも当然、小田原に来るように命令があったのだが、なかなかその姿を現すことは無かった。
諸侯にも動揺が走り始めていた。
なぜなら、伊達が小田原に来なければ、北条征伐の後、その軍がそのまま東北に向けられるのは必然だからである。
しかし、来た。
鉢形城を攻めていた我らにもすぐさまその報は届き、景勝様を残し急ぎ小田原に来るように命じられた。
伊達政宗、どんな男かと思っていたが、なかなかの男である。
髪を切り、白装束で現れたその男は今にも切腹をしかねない様子で関白殿下の前にひざまずいた。
それを関白殿下は、いつもの大声で「よく来られた」と答えた。
その瞬間、その場に張り詰めた緊張感は解けたが、狐につままれたような思いを持った人たちも少なくないだろう。
とにかく、伊達政宗の命は赦され、関白殿下の東北征伐は未然に防がれた。