最後の一滴 | Timely gocci

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書きたくなったら書く。
ただそれだけ。

 

人生の窮地に立たされた後輩が
自分を頼ってくれたことを嬉しく思いながら、二人で肉を啄む。

涙ぐむ彼女に言葉をかけながら
この言葉は、自分に言ってるのかもなと思ったとき
生きるってめんどくさいけど
生きていくっていいなぁ、と思った。





決して彼女が悪いわけじゃない。
だから、とことん責めていいと思う。
でも、さ。
でも、だよ。
そこで、やっぱり最後の一滴、相手のことを想ってしまう自分がいることを、
決して否定しないで欲しい。

ご縁あって一緒にいたんだもん。
悲しい結末だけど、やっぱりそこまで非情にはなれないじゃない。
時間が経って落ち着いたら、ちゃんと心のその一滴、使いなよ。

って。


これ、実は私が数か月前に言ってもらって気づかされたこと。
「最後にお前らしくないことするんか」
「色々言っても長いご縁やったんやけん、年に一度、誕生日くらい祝える余地残しとけや」
って。



そして、思考の連鎖反応は続くのです。

何度も「すみません」「ありがとうございます」って涙ぐみながら言う彼女に
私だって、そうやって言ってもらえたことで気づけただけだし、
悪い時はどんなにあがいてもダメなんやけん、素直に周りに甘えなよ
かけてもらった言葉と優しさは、ポテンシャルが戻った時に他の人にかけてあげればそれでいい

って。



そうやって、生きていくんだなって。
ちょっと前まで自分の目の前が真っ暗だったあたしが、
冷静に、そんな言葉を口にしている。


生きるっていうスポット的な見方だと、めんどうなこともきついこともたくさんある。
一人称だし。
でも、生きていくっていう進行形は、どこか二人称以上の温度を感じて、
頑張ろうって思える。



そんな気が、今夜はしました。