これまでの日本人移住やロングステイのスタイルと異なる、Jトピアの新しい移住のスタイルについてお話します。

Jトピアは日本人コミュニティですが、フィリピンの地域社会の平和と繁栄という共通の目的のために、自治体の福祉政策の実現に協力しています。そのために、Jトピアからは二期連続で地方議員を当選させています

この地方議員を通じて、自治体の行政計画や行政処分の情報がJトピアにもたらされます。これに対して、Jトピアでは議員と日本人レジデントの間で検討を行なって、地域住民の福祉と民主主義の発展にとってどういう選択をするべきかについて、日本での政治経験を生かしてアドバイスし、議員の政策実現に協力しています。

写真は、10月にサンタフェ自治体で開かれた、「障害者の福祉問題」についての市長を始めとする議員、福祉部幹部の会議ですが、これにもJトピアから選出された地方議員が参加しています。

また、Jトピアが実施している小学校の給食提供フィーディング活動も、こうした自治体の福祉行政との調整の後に、計画的に行なわれていますので、議会に地方議員を送っている日本人コミュニティであるJトピアのボランティア活動として地域社会に認知されています。

このことは平凡なことのように見えて実は画期的なことなのです。それはどういうことなのでしょうか?このことをお話しします。

ネットにはフィリピンのスラムの貧困支援であるとか、マニラにある有名なゴミ山視察だとかいった募集サイトが目に付きます。私が滞在するセブ島でもスラムのこどもたちの支援という記事がありました。

これでは、日本に住んでいる日本人は、フィリピンでは、マニラのゴミ山や劣悪な環境のスラムばかりに注目して、あたかもそういう場所への国際支援をフィリピンから期待されていると思っているらしいのですが、本当にフィリピンはスラムだらけでこどもたちは学校にも行けないような貧しい国なのでしょうか。

こういう他国のゴミ山やスラムを見学に来るのは、日本人だけに特有の行動(他国でも例えば教会が行なうものなどがありますが)なのですが、これはフィリピン人やフィリピンに住む日本人にとっては驚くべきことなのです。

ゴミ山やスラムの貧困問題や犯罪問題は、フィリピン政府にとって長年解決することに苦慮している大変頭の痛い困難な国内問題です。そんな解決が困難なフィリピンの国内問題に対して、フィリピンをよく知らない日本人の学生が、何の責任も取れない外国人が、フィリピン未体験の学生や女性が、急にツアーでやって来て、フィリピン人でも危険極まりないスラムを訪れて、そこで現地の人間に(お金を払って)守ってもらいながら、こどもたちに鉛筆を配ったり、壁をペンキで塗ったり何かをお手伝いすれば解決出来るような簡単な問題ではありません。

それなのに、フィリピンでは貧しいスラムのこどもたちに学用品を支援するとか、いっしょに遊んで励まして上げることが必要で、それが大変意味がある(確かに勇気ある行動ではありますが)国際交流だと言うのは、大変自画自賛の独りよがりではないかと思います。

スラムや貧困地区に住む人たちにとって、一番必要なのは、今日食べるコメであり、今日稼ぐ仕事、つまりお金なのです。毎日お腹を空かせたこどもたちは、今日の学校のことも、よりよい明日を思い浮かべることも出来ないに違い有りません。海外から観光で見物に来た金持ちの日本人に、お金や食べ物をもらうこと無しには片時も付き合っている暇は無いのです。

この国のスラムに住むこどもたちにとっては夢のような豊かな国からやって来た日本人たちは、安全なホテルに泊まって、しっかり朝食を食べてから、見物にやって来て、ゴミ山やスラムの劣悪な環境に驚き、その中でお腹を空かせて働くこどもたちを見て、同情して哀れんで、いっしょに歌を歌ったり遊んで上げたりして慰めて、ホテルに帰ったら今日見たことは忘れてしまって、豪華な夕食をたらふく食べてお腹がいっぱいになって良いのでしょうか。

それは貧困問題を観光の目玉にして儲けようとする旅行業者や、とにかく実績を作り上げて国際支援金を集めようとする怪しいNGOの仕業以外に考えられません。

そもそも、本来対等平等であるべき外国同士の関係が、物の贈与から始まり、贈与国側に対して受領国側が感謝することを一方的に押しつけられると言うのは異常なことと思います。それに気が付かない日本人の国際交流も海外支援も如何なるものでも、上から目線の偽善的な自己満足のようです。

考えてみれば、どの家にも玄関や居間が有れば便所やゴミ箱も有るように、国にも同じように玄関も居間も有れば便所もゴミ処理場も有ります。そうならば、他人の家(国)を訪れて直ぐにゴミ置場を見に行くと言うのは異常な行為で礼儀に欠ける失礼な行為だと同じように、これは、国家間でも失礼な行為だと思うのですが、どうしてそれに気付かないのでしょうか残念です。

また、人間には誰しも恥部が有ってそれは確かに人間の部分ではありますが、そこは普段は隠して人には見せない、また見ないというのが社会のルールです。それなのに、フィリピンと言えばゴミ山やスラムだと言うのは、ちょうど初対面の人が他人の恥部を指して、ここがあなた自身だと言っているようなものと思いますがどうでしょうか。日本人は、ここまで品性が無い人種だとフィリピン人から思われないか心配です。

フィリピンは日本と比べたら貧しい国ですが、経済的には貧しくとも家族で助け合い地域の規律を守って犯罪も犯さず慎ましく高い精神文化で生きている国民です。しかし、日本人のNGOツアーなるものは、そういう普通の国民同士の交流を避けてゴミ置場で生きている人たちにいきなり会いに行くことが国際交流と思っているようです。そうならば、自分は安全な国で毎日腹一杯食べられる国の国民のとんでもない思い上がりなのではないかと思います。

フィリピンにはどこにも、暮らしは貧しくとも人に頼らずに生活して、言葉も文化も教育もちゃんと理解して、精一杯元気にに生きている普通の国民が居ますので、そうした国民同士が国際交流して、人間同士のきずなを深め合うことがいま一番求められているのではないでしょうか。

こういう認識の上、セブJトピアでは、自由で対等な人間関係という視点で、移住の日常生活が現地の人たちとの交流であり、ともに地域社会を平和で豊かに暮らして行く責任をシェアするレジデントという立場で、人間の交流の中で生まれてくる自然な助け合いや支え合いを「ボランティア」と考えています。このブログでたびたび紹介しているJトピアのボランティア活動は、こういう生活の中から生まれたきずなの証しなのです。

本当に外国の若者と向き合って、人間同士のきずなを深めたいのならば、スラムに行くのではなくてバンタヤン島のJトピアに来られるのが良いでしょう。ここで生まれたきずなは、双方がことばと文化の交流の上に積み上がる成果と成って、若者同士の人間的な悩みを語り合えるような関係となり、帰国後もずっと続く海外の友人との出会いとなることでしょう。