『フィリピンゴミ山見学ツアー』に出かけた日本人が、その後10年以上その支援を継続して取り組んでいるという話しを聞いたことがありません。

なぜ私たちが『フィリピン貧困見学ツアー』が駄目だと言うかという理由は、第一に、文化がある国民は、他国の恥部を覗きに行かないという人間としての品性の問題。第二に、「貧困」は我が国にもどの国にも存在しているのに、どうして自国内の「貧困」に向き合わないで、他国の「貧困」を解決出来るのかという責任能力喪失の問題。

言うまでもなく、フィリピンの貧困問題はフィリピン人が解決する課題であり、日本の貧困問題は日本人が解決する課題です。

私たちセブJトピアは、フィリピンでも貧しい地方の田舎にあるバンタヤン島に定住して以来、10年間にわたって、日本人コミュニティがフィリピンの地域振興のために何が出来るのかを追求して可能な限りを実行して来ました。

現在、セブJトピアでは、フィリピンの地方議会へ地方議員を送り出すようになって、地方自治体の社会福祉政策を推進する役目も負うようになりましたので、具体的にフィリピン政府の貧困問題を含む社会政策について知り得る立場にあります。

フィリピン政府は貧困問題を解決しようとして様々な政策を実行していますが、しかしながら、フィリピン政府としてもこの問題を一気に解決する有効な対策がなくて長年にわたって難渋しています。

しかし、かと言って、フィリピン政府は、日本を含む他国の援助に頼って解決するとか、それを期待する政策は取っていません。

自国が長年にわたって解決できない社会問題をどうして「見学」に来た外国人の日本の若者がちょっと「ボランティア」しただけで解決できるのでしょうか。もし、そういうことが可能ならば日本人は先ず自国の貧困問題を解決するべきです。

こういう話しをしますと、中には、誰でも好きな所に行く自由があるとか、見てから考えるしかないとかおっしゃる方もいらっしゃいます。また、私の言い方が大上段に切って捨てるのでおかしいとおっしゃる方もいらっしゃいますので、私たちの考えをお話しします。

先ず、フィリピンの貧困問題は『ゴミ山』にだけ有るのではなくて、フィリピン全土にあります。私たちが定住するこのバンタヤン島にも当然「貧困」はあります。

子供の問題だけに限定しても、家庭の貧困のために、小学校を卒業してからハイスクールに進学できない生徒が町全体の一定の割合で存在しています。その中には成績が優秀で将来に期待できる生徒も居ます。

それでは、私たち日本人コミュニティが、このフィリピン社会の「貧困」問題に対してどういうカタチの「支援」が可能で相応しいのでしょうか?そこで、私たちが選んだ「支援」とは、家庭の事情で、高校に進学したくとも出来ない優秀な生徒たちを奨学生として「支援」することでした。

それで、地方自治体の社会福祉部と連絡を取って、家庭の事情で進学できない生徒たちとその父兄たちに面接を行なって、その中から、地元のサンタフェハイスクールから11名、離島のキナタルカンハイスクールから15名の、合計26名の奨学生を選びました。

この奨学制度の内容は、サンタフェハイスクールの奨学生には、四年間の全学費と各学期毎に必要な文房具と学用品(鞄、靴、運動着など)を、キナタルカンハイスクールの奨学生には四年間の全学費という内容でした。

そして、このサンタフェの奨学生たちも一名を除いて、四年間の学業を無事努めて、今月三月二十七日に卒業して巣立って行くこととなりました。何と、私たちの奨学生が、全校卒業生の中で成績の一番と二番になったのです!(写真は、3/27の卒業式の写真です。中央の女性はJトピアの地方議員ですが、左側の男子が成績の二番、一人置いてその右側の女子が全校トップです!)

私たちが「足長おじさん」を引き受けなかったら、この子供たちの今日の笑顔の卒業姿は見れなかったかも知れません。

この子供たちがこれからさらに育って大人になって、やがて国内の貧困問題を解決する役割を果たすようになるだろうと考えます。それは彼らの天命に違い有りませんし、また、私たちの希望でもあります。

従って、日本人がフィリピンの貧困問題のために出来ることは、私たち日本人の思いを伝えて有意の人材を応援することではないでしょうか。これが私たちセブJトピアが、この⒑年間にわたって行動してきた結論であり、『日本とフィリピンの共生策』の一つです。