とある『予言者』が言いました。1999年7の月、世界に災いが降り注ぐと…。
 だけど、其の時が過ぎた今も、我々は不変なる時を生き続けています。
 だから私は、今、ここに記しておきたい。歴史の影に隠された真実を。
 『全てを視る存在』として…。


「ふぅ…。そろそろ一服しようか」
 僕は、周りの皆に呼びかける。そして、その声に反応して、皆は思い思いの場所に腰掛ける。
「お疲れ様です、キリトさん。はい、ジュースです」
「あ、Jさん。ありがとう」
 僕の所に来たのは、仲間のJさん。とは言っても、知り合ったのは、ほんの一週間ほど前だが…。
 彼(彼女かな?)の事を、他の皆は気味悪がってる。だから、話し相手も自然と限定されるわけだ。
 僕は、Jさんの事は好きだけどね。
「それにしても…本当に来るのかな? 世界を滅ぼすかもしれないほどの『災い』なんて…」
「……」
「まぁ、さすがに其処までは分からないよね」
「…ええ。でも、その為の『箱舟』ですからね…」
「うん…。でも、出来れば…使う事は避けたいね…」
「……」

~箱舟計画・NOAR~
 これが、前々から秘密裏に行なわれている、世界規模のプロジェクトの名称だ。
 来るべき災いに供え、人類全体を乗せる為の『ノアの箱舟』を創り出す計画…。
 もちろん、その事を知っているのは、プレジデントクラスの人々と、プロジェクトに携わってる人達のみ。
 世界にこの事が知れ渡れば、不要な混乱を生み出しかねない為、見通しが立つまでは発表は避けたいのだそうだ。

「でも…可能なのでしょうか? 世界人口全てを救い出すほどの箱舟なんて…」
「…どうだろうね。僕にも未だ分からない…。でも、僕らが頑張らないと…」
 言いながら、僕は空を見上げ、静かに…でも、力強く言った。
「…約束したんだ。この世界を救うって…。だから、僕はこの『箱舟計画』に参加する事を決めたんだ」
「約束…ですか。」
「うん。友達、両親、婚約者、そして…他にも色んな人と…ね」
「……」
「ねぇ、Jさんは、どうしてこの計画に参加する事を決めたの?」
「…私も、似たようなものですよ。とある方と…約束したから…」
「? とある方?」
「…ええ。とある方、です」



 今はもう真夜中。私は、宿舎の外に出て、星を見上げました
 この計画は秘密裏に行われてる為、参加者達は政府の用意した一つの宿舎で生活しているんです。
 もう、ここでの暮らしも長いですね…。
 こうして、空を見上げてると…思い出します。あの日の約束を…。



『…J…頼む…私を…殺してくれ…。そして…私の最後の力を…否定してくれ…。』



 …大丈夫です。
 アナタとの約束、必ず果たして見せます…。 
 この…血塗られた両手と、『全てを視る存在』の名に誓って…。
「…Jさん?」
「…? あ…キリトさんでしたか。どうしたんですか?」
「ちょっと、眠れなくて…。Jさんこそ、何をしてたの?」
「私も、ちょっと…。それと、約束の事を思い出してたんです」
「そっか…」
 そう言いながら、彼は私の隣に腰掛けました。そして、空を見上げました…。
「政府の発表…聞いたかい?」
「…ええ…。どうやら、『災い』の正体が判明したとか…」
「『判明』って程のものではないけどね。 でも、コンピューターが97.23%の確率を弾き出したって言ってたから、ほぼ確実だと思う…」
「……」
 『彼』の遺した予言書は、曖昧な記述しか為されてなかった為、『災い』の正体に関して、様々な憶測が飛び交いました。
 恐怖の大王、異星人、あるいは、自然破壊による代償など…。
 しかし、今日の政府内の発表によい、『災い』の正体は現実味を帯びたのです。
 その正体は…『巨大なる隕石』
 その大きさは地球規模のもので、軌道上から考えてそれが到達するのが、丁度七の月。
 もし、その隕石が地球と『衝突』すれば…確実に地球は壊されてしまうでしょう…。
「…政府は、地球を捨てる決心をしたらしい」
「捨てる…ですか…。私達が今まで共にしてきた、この大地を…」
「…プレジデントは言ってたよ。『仕方のない取捨選択』だって…。新しい住処として、マルス(火星)を考えてるらしいよ」
「そうですか…」
 私の声は、自分でも驚く程に落胆していました…。
 思い出の多すぎる『ここ』が消えてしまう事が、よほど悲しかったのでしょう…。
「…気持ちは分かるけど、こればかりは、どうしようもないかもしれないね。いくらその隕石を衛星上で確認できたからといって、軌道を変える事が出来る訳ではないし…」
「…それに、隕石を『破壊』しても、その破片が地球上に落ちてきたら、多大なる被害は避けられない…」
「そうだ…。僕達は…逃げる事しか出来ないんだ…」
「……」
「…でも…」
 そう言って、キリトさんは顔を上げました。その表情は…とても前向きに輝いていました。
「でも…、僕は信じたいんだ。人の可能性を…」
「可能性…ですか?」
 キリトさんは、笑いながら頷いて立ち上がり、私の手を取りました。
 …温かな、掌…。
「Jさん、そろそろ寝よう。また明日から忙しくなるよ」
「…そうですね。行きましょうか」
 キリトさんは、諦めなかった。最後まで足掻き、信じる事を貫こうとしている。
 ならば、私も信じよう。人の可能性を、そして、彼の信じるものを…。
『…生きましょう』


「隕石の動きは?」
「今の所は計算通りですね…」
「計算通り…か…。我々に残された時間も…マニュアル通りってわけだ…。神にすがるような期待はできんという訳だな…」
 政府の発表があってから、『NOAR』の動きは、より具体化し、活性化してきました。
 私達は…この地を捨てて逃げる為の準備をしているのです…。
「急げ! 時間は待ってはくれないぞ!」
「ああ…。なにせ、地球規模の箱舟を作らなければいけないんだ…。時間はいくらあっても足りないぜ」
 ここの研究員達も、すでに頭を切り替えて、新たな地で生きる事を認めたようです。
 確かに、地球と似た環境のマルスなら、決して絶望的な生活を強いられる事もないでしょうからね…。
 …ですが…私にはまだ納得が出来ない…。
 それは…きっと、『彼』との約束があるからなのでしょうね…。

『最後の力を否定してくれ…』

 …ですが、今のままでは、それは不可能…。
 今、私達が行なっている事は、アナタの最後の力を『肯定』し、その脅威から逃げているだけなのだから…。



「それは仕方がないよ。」
 キリトさんの最初の言葉がそれでした。
「仕方ない…ですか?」
「Jさんが、その人とどんな約束をしたのかは聞かないけど…。Jさんは約束を守る努力をした。それに価値があると思う。それに…約束に囚われすぎて、多くのものを犠牲にしても、その人は喜ばないんじゃないかな…?」
「……」
 そうかもしれない…。確かに、『彼』が私に望んだ事は、そんな事ではないかもしれない…。
「でも、Jさんって不思議な人だよね」
「…良く言われますよ。でも…キリトさんも不思議な人だと思いますよ」
「? 僕が?」
「ええ…。何というか、一緒にいて安心できます。」
「そうかな? な、何か照れるね。」
 そう言って、キリトさんは恥ずかしそうに笑いました。
 そして、その姿があまりに無邪気で、私も嬉しくなって…二人は、笑い合いました。
 …無くしたくない。この笑顔も、日常も…。
 …ごめんなさい。もしかしたら、ちゃんとした約束は果たせないかもしれません。でも…許してくれますよね?



しかし…現実は、決して甘くなかった…。何故、神はこのような試練を与えたのだろう…。



「な、何だと!?」
 いつも通りの作業の途中。静寂を破ったのは、通信士の悲鳴にも似た叫びでした。
「…なんてこった…。まだ完全ではないというのに…」
 彼の放つ言葉の端々に、不安を感じたのは私だけではない筈です…。
 そして、程なく、放送が聞こえてきました…。絶望的な放送が…。

『…隕石が…急加速した…』

「プレジデント!どうするつもりなんですか? このままでは、時間が足りません!」
「…分かっている…。だが…」
「おいおいおい…。このまま死んでしまうのかよぉ! せっかくここまで頑張ってきたのに!」
「何とか言って下さい! プレジデント!」
「プレジデント!」
「……」
 研究員の方々の放つ非難の声。それを受けとめるプレジデント…。
 どちらにも分かっているはずなのに…こんな言い争いをしても無駄だって事は…。
「ただでさえ時間との勝負だと言われてたこの計画なのに…。プレジデント!我々に残された時間は、どれくらいなのですか?」
「……」
 研究員の一人の質問に対し、口を閉ざすプレジデント。そこから感じ取れる様に、其れは絶望的な数字なのでしょう…。
 そして、やがて覚悟を決めたプレジデントは…ゆっくりと重い口を開きました…。
「残された時間は…長くて…あと30時間だ…」
「「!!!??」」
 …何て事だ…。ある程度は覚悟していたとはいえ…。時間が…足りなさ過ぎる…。
 皆は、ただただ絶望の悲鳴を上げるばかりでした…。
 …いや、違いました…。たった一人を除いて、皆は絶望の悲鳴を上げていました…。
 そう…。キリトさんを除いて…。



「キリトさん…。何処に行くんですか?」
「!? あ、ジェ、Jさん…。あ、あはは…。ちょっと、ね」
「…誤魔化さないで下さい。何処に行くんですか?」
「……」
 『最後の』夜。
 私は、彼を待っていました。正確には、待ち伏せて、ですが…。
「おかしいとは思ったんです…。アナタはいつも、夜、私に会いに来てくれた…アナタはいつも、外に出て、何かをしていた…。違いますか?」
「……」
「アナタは…何を考えているのですか? 何をしようとしているのですか?」
「……」
 キリトさんは、ただ黙ったまま、私の方を見ています…。
 その目は…あまりにも美しく…あまりにも優しく…そして…あまりにも悲しい…。
「…ねぇ、Jさん。前に言ったこと、覚えてる? 『出来れば使う事は避けたいね』って言った事…」
「…ええ。おぼろげながら…。それは、箱舟の事ですよね?」
「うん。そうだよ。」
「…ですが、今の私達に箱舟を完成させる事は出来なかった…」
 そう…私達には、時間が残されなかったのだ…。箱舟を作る時間も、人類に危機を知らせる時間も…。
 ですが、キリトさんは言いました…。力強く…。
「…完成しているよ。箱舟は。そして、僕らは今、その箱舟に乗っているんだ」
「…えっ?」
  箱舟が完成して…今…乗っている…?
「!!? ま、まさか…」
「…気付いたみたいだね。最後の箱舟の存在に…。そう。この地球こそが、僕らを乗せる『ノアの箱舟』なんだ」
「この地球が…ノアの箱舟…」
「…でもね、箱舟には、まだ漕ぎ手がいないんだ。箱舟を動かす、漕ぎ手が…」
「箱舟を動かす…漕ぎ手…!!?」
 ま、まさか…彼は…。
「既に、バーニアの準備は出来ているんだ。ただ…確実かつ強力な火力が必要だからね…。漕ぎ手がいるんだ。バーニアに直接火を付ける漕ぎ手が…」
「!!?」
「…Jさん、これで良いんだよ。予言は起こらなかった。其れで良いんだよ。ね」
「そ、そんな…アナタは…アナタは死ぬつもりなのですか!?」
「ああ」
 キリトさんは、恐れもためらいもなく言いました。死ぬつもりだと…。
「どうして…どうして私達に何も言ってくれなかったんですか!? 其れに…どうして、こんな事を…。まるで、この日が来る事を予測していたかのように…」
 私は…泣いていました…。
 そして、キリトさんは私の頭を優しく撫でながら、言いました…。
「予測してたよ。この日の事は。だから、僕は『最後の箱舟』を用意した。本当は使いたくなかったんだけど…。『視えて』しまったからね…」
「!!?」
 視えて…。ま、まさか、彼は…。
「待って…待ってください!あなたは…あなたはまさか…」
「……」
 キリトさんは、ふっと笑いかけて…そして、優しい声で言いました。『ありがとう』と…。
「…J。お前には、感謝してる。私との約束を守ろうとしてくれた事、嬉しかった。だから、自分を責めないでくれな。私は、君と再び会えて嬉しかった。そして…もし今度、同じような事が起こったら…。その時こそは、私の最後の力を否定してくれ…」
「キリトさん…いや…」
「…キリトでいいよ。ここで会った私は、『キリト』でいいんだ。じゃあね、J…。いつか、輪廻の輪が許してくれたら、また会おうね…」
「……」
 『キリトさん』が見せてくれた最後の笑顔は…優しくて…儚くて…。
 そして…『彼』と同じくらい…哀しかった…。



「そう…ですか…。キリトは…立派でしたか…?」
「はい…」
  私は、この事実を彼女に話した。キリトさんの婚約者に…。
  其れが、私に出来る唯一の事だったから…。
「アナタだったのね。キリトがいつも言っていた、約束の人って…」
「…はい」
「自分を責めないでね。キリトは、そんなアナタを望んでないはずだから」
「…ありがとう…ございます…」
 結局、キリトさんの決死の行為は、『事故』として処理された。偶発的な爆発に巻きこまれたと。
 そして、その爆発によって、地球の軌道が変わり、『奇跡的に』助かったのだと…。
 …結局、私はまた、彼を助けられなかった…。
「キリトはね、不思議な人だったよ。なんかね、未来が見えるみたいだった…」
「……」
「時として、すごく突飛な事を言うから、信じてもらえる事は少なかったけどね…」
「…そう…ですか…」
 そうだろう…。彼は『視えて』いたのだろう。隕石の加速が…。
 だけど、彼には分かっていたんだ。その話を信じてもらえない事も…。だから、彼は…。
「…はい。これがキリトの家系図だよ。見たいって言ってたよね」
「はい。ありがとうございます…」
 私は、彼女から『キリトさん』の家系図を受け取り、其れを広げました。一つの名前を探す為に…。
「…知ってる? キリトってね、外国の血が混ざってるんだよ。だから、ホラ…」
 そういって、彼女は一人の名前を指差しました。
「…ね」
「やっぱり…そうでしたか…」
「? やっぱり?」
 私の言葉に、彼女は不思議そうな声を出しました。
 …ですが、私には分かっていたから…。 『彼』の名前が、ここに記されていた事が、分かっていたから…。
「……」
 そこに刻まれていた名前…。それは、かつての私の友人の名前。
『キリトさん』と同じく、未来を「視える」力を持ち、その為に苦しんだ…。
 …いや、『キリトさん』は『彼』なのだから、「同じく」という表現は少し違うかもしれませんね。
「そうですよね…」
 そう言って、私は其の名前を指先でそっと撫でました。
 …かつての私の親友だった…ノストラダムスの名前を…。



(完 or to be...)