「何か、言い残す事はあるか?」
「……」
「…フン。黙して美徳を演じるか…。何処までも厭らしい女だ…」
「……」
「…これより、異端教徒、ジャンヌ=ダルクの公開処刑を行なう!」



 …私はその時、ただ、それを見ているだけしか出来ませんでした…。あまりに、無力過ぎる私には…。



 『ジャンヌ…。ジャンヌ…』
「…!?」
 私が『神の声』を聞いたのは、13歳の時だった。何故、私だったのだろう? それを考えるには、その時の私は幼すぎた。
 ただ、『神の声』を聞いた事実に驚き、その意味に迷い…。何度も教会に何度も足を運ぶ自分がいて…。
 そして、気がつけば…、私は『聖女』として、フランスを救う『義務』を背負わせられた…。



「聖女殿よ…。イギリス軍との戦いは、熾烈を極めるであろう。いくらそなたに不思議な力が備わっているとはいえ、一筋縄ではいくまい…」
「…そうかもしれませんね」
 時のフランス皇太子の言葉に、私はただ、そう答えるしかなかった…。
 彼も、最初は私を聖女として認める事はなかった。だが、今では私の理解者として、色々と協力をしてくれている。
 あるいは、私を『利用』しようとしたのかもしれないが…。
 とにもかくにも、私は彼の協力を得る事に成功した。
 そして、遂にイギリス軍との全面的な戦いへと突入する日の前夜、彼は私にそう言ったのだ。
 そして、それを肯定した時、彼は、更に言葉を続けた…。
「…ならば、私の信頼する、3人の近衛兵を共に行かせよう。ファーベル! レヴィン! …J!」
 そう言って、奥の方に声をかける皇太子。すると、それに呼応するかのように、二人の男…そして、一人の『存在』が現れた…。
 『存在』と呼んだのは、その人が男性か女性かが分からなかったからだが…。
 まぁ、戦場に派遣され、信頼する近衛兵とまで言われるのだから、多分男性なんだろうな…。
「紹介しよう。右から、ファーベル、レヴィン、そして、J。いずれも私の信頼する部下達だ。彼らを連れていけば、戦場でも立派に活躍してくれるだろう」
「…そうですね。ありがとうございます…」
 なるほど…彼らはいわゆる、私の『監視役』なのだろう。
 確かに今までは聖女としてのちょっとした奇跡を、彼の前でも見せてきた。
 だけど、いざ戦争となった時、私に戦えるだけの力があるのかどうか…。それが不安なのだろう。
 …まぁ、それもしょうがない。彼にとっては、単にイギリスの圧政からフランスを開放する事以上に意味をなす戦いなのだから…。
 そう…。フランスに政権を戻し、彼が、新たなるフランスを導く存在になるという意味が…。
「聖女殿、お会いできて光栄です」
「この命、聖女殿の為に捧げる覚悟です」
 そう言って、ひざまづき、私に頭を下げてくるのは、ファーベルとレヴィン。
 充分な成人である彼らが、年端もいかない私にひざまづく…。
 なんか、こういうの、嫌だな…。
 …などと考えていると。
「ジャンヌさん…でしたね」
「…?」
 少し、気落ちしていた所為で、直ぐに反応できなかったが…。『私』の名前が呼ばれたような…。
「あ、ごめんなさい。もしかして、名前、間違ってました? 其れとも、ファーストネームで呼んだのが、気に触りましたか?」
「え? あ、い、いえ…」
「そうですか。なら、良かった」
「……」
 私に声をかけてきたのは、3人目の存在、Jだった。彼(彼女?)は、私にひざまづく事はせず、ただ、笑ってそう言っただけ…。
(…ジャンヌ、か…)
 自分の名前なのに、ずいぶんと聞いてなかった気がするな…。みんな、私を『聖女』って呼ぶから…。
 …でも、何故だろう。『聖女』ではなく、ジャンヌと呼ばれる事が、何故こんなに嬉しいのだろう…。
「? ジャンヌさん? どうしました?」
「え? あ、ご、ごめんなさい。何でもないです」
「そうですか…。明日は早いです。ゆっくり体を休めて下さいね」
「あ、は、はい…。お心遣い、感謝します…」
 いけないいけない。ずいぶんと気が抜けてしまってたみたいだ…。
 そんな私に、Jさんはやはり優しく微笑みかけてくれる。安心させてくれる、優しい微笑み…。



「…ふぅ」
 出陣前夜。私は皇太子の城の中の、立派な部屋の立派なベッドの上で、今日の疲れを取ろうと、体を横にしていたが…。
「なんだか、眠れないな…」
 …やっぱり、緊張しているのだろうか…。あるいは、私には不似合いなほど立派なベッドの所為だろうか…。
「…少し、外の空気を吸おうかな…」
 少し体を動かした方が、ぐっすり眠れるだろうと思い、私は体を起こし、外に出ようとする…。
「…なかったんだ!?」
「…?」
 ? 何だろう、今の声は…。礼拝堂から聞こえてきたような…。
 私は、その声の主を確かめるべく、礼拝堂の中を覗いてみる。すると…。
(…J? それに、ファーベルとレヴィンも…)
 そう。其処に居たのは、J達、三人の近衛兵たち。何か、言い争いをしてるみたいだけど…。
(どうしたんだろう?)
 私は、3人に声をかけようと、声を出しかける…。その時…。
「何で、彼女を『聖女』と呼ばなかった! 気を悪くされたら、どうするつもりだったんだ!」
「…!!?」
 ファーベルの放った言葉に、私は驚き、ただ呆然と立ちすくむだけだった。
(彼らの言い争いの原因は…私?)
 私は出るに出られず、いけない事とは知りつつも、彼らの声に向けて、聞き耳を立てる…。
「ファーベルの言う通りだ。彼女は尊き聖女殿。J、お前は口の利き方がなってないぞ」
「…でも、彼女はジャンヌさんじゃないですか」
「…分かってないな、J…。我々にとって、彼女の素性など、どうでも良いのだよ。重要なのは、フランス軍を勝利に導く象徴の女神…。『聖女』なのだ…」
(……)
「…その為に、ジャンヌさんを犠牲にしようと? あんな子供を、犠牲にしようと言うのですか?」
「犠牲? 何を言うんだJ。彼女だって、『聖女』である事を望んでいるはずだ。だってそうだろう? 聖女でない彼女なんて、ただの村娘じゃないか。それが今や、皇太子様とも顔を合わせ、フランス中に名を轟かせる英雄。ただの村娘から、えらい出世じゃないか。彼女だって、腹の中では笑っているだろうさ」
(…!!?)
 彼らは…。皆は私を、そんな眼で見ていたの…?
 『私』自身じゃなくて…『私』が『演じる』『聖女』を求めていると言うの…?
 『私』は…要らないの…?
「……」
 …これ以上は、聞きたくなかった。私は…重い気持ちをベッドに引きずりこみ…泣いていた…。



「一気に攻めろ! ここまで来れば、勝利は目前だ!!」
「我々には聖女様がついている! さぁ、進め! 勇敢なる騎士達よ!!」
 あれから、フランス軍の快進撃が始まった。
 私の中に聞こえてくる『神の声』の導きが、的確な戦略を示し、ことごとくイギリス軍の裏をかき続けている…。
 そして今、大きな戦いのさなか、一つの結論が出ようとしている…。『勝利』と言う結論が…。
「ファーベル隊! 進め! 敵の首を一つでも多く奪うんだ!」
「レヴィン隊! 遅れを取るな! 一気に大将の首を狙え!」
 ここまでの戦略は、思う以上に効果を得て、今や圧倒的不利だと思われた戦いに、絶対的な勝機が生まれた。
 そして、それに高揚したファーベルやレヴィン、そして、その他のフランス兵士達は、我先にと敵陣営へと向かっていく…。
「……」
 …フランスの勝利は間近。だけど、私には、どうしてもそれを喜ぶ事が出来なかった…。
「…ジャンヌさん」
「…J」
「ありゃ。私って分かりましたか? 後ろから声をかけたのに…」
「うん…。良く聞く声だもん。それに、私を『ジャンヌ』って呼んでくれるの、アナタだけだしね…」
「……」
 Jは、黙ったまま、私の横に肩を並べる。決して強そうではないけど、私より、一回り大きい背丈…。
(…キスするには、丁度良い身長差かもね…)
 こんな時なのに、場違いな事を考えてしまう自分がいる…。そう考えると、なんか笑えた。
「…? どうしました?」
「あ、ううん。何でもないよ…。それよりも、Jは攻めに行かないの?」
「私は『監視役』ですからね…」
「…そう」
 ずいぶんとあっさりと正体をあらわすんだな、彼は…。嘘がつけない性分なのかもしれないね。
 そんな事を考えていると、Jは、ふっと呟いた…。
「…戦争、やっと、終わりますね」
「…うん」
「…もし戦争が終わったら、ジャンヌさんは、どうするつもりなんですか?」
「……」
 どうする…か。正直、直ぐには実感がわかないな…。
 でも…。これだけは分かる。この戦争が終わっても、私は『聖女』である事から逃れる事は出来ないのだと…。
 私の名前は…あまりにもフランスに広まりすぎた。『聖女』としての、私の名前は…。
 多分、何処に行ったとしても、私は『私』には戻れないのだろう…。
「…オルレアンに、帰りたいな。私の、たった一つの故郷だから…」
「……」
「…なんてね。Jには、分かってるんでしょ? 私…帰れないんだね」
「…ええ。皇太子はアナタを…。いや、『聖女』の名を持つ存在を、手放したりはしないでしょう…」
「そっか…」
 Jは、やはり嘘をつけないらしい。少し自嘲的に、彼はそう言った。嘘をつかれるよりは、幾分ましだけどね…。
「…この戦争で、多くの血が流れましたね…」
「…うん。フランス軍だけじゃなくて、イギリス軍の人達の多くが、この戦争で命を落としてしまった…」
「…悲しいですか?」
「…そうだね。本当は、そんな事考えちゃいけないんだろうけど…。悲しいな…」
「……」
「イギリス軍の人達だって、家族や、友や、愛する人がいて…。自分の正義を抱え、戦った。其処に、フランスもイギリスもないよ…。どちらも同じ命…。同じ人間なんだから…」
「……」
「…私を、怒る? フランス軍の象徴の私が、敵であるイギリス軍の冥福を祈る事、アナタは怒るかな?」
「…いえ。逆ですよ」
「……」
「アナタが、相手側…イギリス側の事を考えない様な人だったら、きっと失望したでしょう。
「……」
「…アナタはやはり、優しい人だった。だから、嬉しいです…。私は、優しい人、好きですから…」
「…え? す、すき…?」
 …あれ? なんでだろ?
 なんで、私、照れてるんだろう?
 なんか、恥ずかしくて、Jの顔をまともに見れないよ…。
「? ジャンヌさん?」
「あ、ご、ごめん。何でもない、何でもないよ…」
「…そうですか」
 そう言って、Jは、にっこりと私に微笑んでくれる…。私を包んでくれる、優しい微笑み…。
「…ありがとね、J…」
「? 何がですか?」
 私の呟きに、不思議そうに問い掛けるJ。でも、私は意地悪して答えてあげない。或いは…、恥ずかしかったのかな? 
 でもね。
 私は、アナタにいっぱいいっぱい、感謝してる。
 アナタが、『聖女』ではなく、『私』を見ていてくれた事が…。
 『ジャンヌ』と呼んでくれた事が、どれだけの救いになったか…。
 多分、アナタは知らないんだろうね。でも、それでもいいの。
 私は、アナタのおかげでここまで来れた…。
 諦めない事で、アナタに恩返しをした…。答えを示したと思ってるから…。
「…のろしです」
「…あっ。 本当だ…。赤ののろし…。勝利を示す、情熱の赤ののろし…」
 私は、Jと肩を並べ、赤いのろしを、じっと見続けていた…。



 長かった戦争が終わった…。フランス軍は、長い長い戦いの末、勝利を勝ち取る事が出来たのだ…。



「…では、私はもう行きますね」
「…行っちゃうんだ。もう少し、一緒にいたかったな…」
「仕方無いですよ。私は、あくまでアナタの『監視役』でしかなかったのだから…。本来、私には、皇太子様と顔を合わせられるだけの権限はないんです」
「…そう」
 私達がフランス本土に戻った後、Jは、私達と共に王城に戻る事無く、街の中で、別れを告げた。
 理由は、さっき彼が言った通り…。彼もまた、利用されし者に過ぎなかったんだ…。
 戦争が終わり、私の『監視』が終わった以上、彼に王城に戻る権限はない…。
「……」
 私は…悲しかった。
 彼と共にいる時間が無くなる事もだが、彼が私の『監視役』に過ぎなかった事が…悲しかった。
「…ジャンヌさん」
「…なに?」
 Jの言葉に、私はしっかりと答えを返す。これで会えるのは最後かもしれないんだ。一字一句、聞き逃したくない。
「あの時の気持ち…。『同じ命、同じ人間』だと言った、あの時の気持ち…。無くさないで下さいね…」
「…うん」
「…じゃあ、もう行かなくてはいけません…」
「…さよなら…だね」
「……」
 Jは何も答えず、ただ、私に笑いかけて、街の中へと消えていった…。
 私は…少しだけ救われた気がする。
 彼が、いつもの笑顔を私にくれた事、そして、私の『さよなら』を否定してくれた事…。
 そんな、他愛無い事に、私は少しだけ救われる…。



 そして、時は流れる。皇太子は、新たなるフランスの王となり、フランスを導く存在となる。
 そして、私は…。



「…異教徒? 私が?」
 私は…『異教徒』としての疑いをかけられ、裁判にかけられていた…。
 今思えば、フランス政権を取り戻した今、『象徴』としての私は、フランス王に、新たなる恐怖と認識されたのだろう…。
 私の…いや、『聖女』の持つカリスマ性ゆえに…。
 …だって、その証拠に、この裁判が行われる事を知ってるはずのフランス王から、何の助けも弁護も為されないのだから…。
「…お前の聞いた神の声。それは、悪魔の仕業なのだろう? 悪魔がお前に、指令を下したのだろう?」
「な、何を根拠にそんな事を…」
「根拠? そんなもの、その不相応の格好を見れば当然だろう?」
「不相応…。私の男装の事を言ってるのですか?」
 …私は、戦争の時からずっと、男の人と同じ格好をしていた。
 それは、共に戦ってる事を意味すると同時に、男ばかりの場において、自らの身を守るための護身術でもあった。
 だが、今のフランス国教では、その様な不相応な格好も、『異教徒』としてみなされるのだ…。
「お前は異教徒だ。それを認め、直ちに男装を解け…。そして、二度と神の意志に逆らわない事を誓うのだ」
「…誓わなければ?」
「火あぶりだ」
「……」
「どうする? 『魔女』よ」
「…誓います」
 悔しい。悔しい。
 だけど、火あぶりは嫌…。死ぬのは嫌…。
 私は、まだ生きていたかった…。まだ、したい事だっていっぱいある。
 たとえ、どんな屈辱を背負おうとも、私は生きたかった…。せめて、もう一度…。
「ならば、この血判に名前を…。字は習ってないとはいえ、名前ぐらいは書けるな」
「…覚えましたから」
 …こんな事に使う為に覚えたわけじゃないけどね。
 私はその言葉を必死で飲み込み、血判状に名前を書く…。
 あの人と別れて以来、誰も呼んでくれなくなった、『ジャンヌダルク』の名前を…。
「この女を、牢に閉じ込めろ。あと、その際、服を着替えさせるのだ。忘れるな、『魔女』よ…。もし再びお前が異教なる真似をすれば…、即刻火あぶりの刑だ」
「……」
 …そう言う事か。
 私はいずれにしても、もう表に出る事はない…。死ぬか、永遠に牢の中で暮らすか…。二つに一つ…。
 それが、王が、人々から『聖女』の名前を記憶を消すために使った、汚い戦略…。
(…私は、やはり『聖女』の呪いから抜けられないんだね…)



「お、覚えてやがれぇっ!!」
 下卑た男どもは、お決まりの捨て台詞を残し、牢を後にする…。
「はぁ…はぁ…」
 私は、ボロボロになった服と、護身用のナイフを手に、息を切らしていた…。
 …これで、何度目だろう? 下卑た男どもが、女の格好をした私を襲おうとしたのは…。
(だから、女の格好はしたくないんだ…)
 だけど、再び男装をすれば、私は異教として扱われ、火あぶりに処せられる…。
「……」
 死ぬのは嫌…。だけど、その為に、何度、この屈辱に耐えなければいけないんだろう…。
 今はまだ、戦争時に覚えた剣術のおかげでなんとか守りきれているが、このままでは…。

 ガタッ…。

「…!?」
 そ、そんな…。まだ、来るの? まだ、私を襲いに来るの…? 誰…? 誰なの…?
「…!!?」
 それは、見慣れた人影だった。見慣れた二つの人影が、私の目の前に…。
「ずいぶんと、衰弱してしまったものだなぁ、『聖女殿』」
「服の方も、抵抗の連続で、既にボロボロですねぇ…」
「…ファーベル、レヴィン…」
 …そう。
 よりにもよって、彼らが…。
 フランス最強の近衛兵として名を馳せた彼らが、ここに来てしまった…。
 …救いなんて期待していない。彼らの目を見れば、そして、彼らの声を聞けば、その目的は明白…。
 彼らも、今までの男どもと同じく、私を…。
「しかし、さすがは『聖女殿』…。女らしい格好も、良くお似合いでいらっしゃる…」
「我々の考えは、お見通しなんだろう? おっと、抵抗しようなどと考えない方が良い。いくら君の剣の腕が立つとはいえ、それは我々が教えたものだからね…」
「…くっ…」
 …悔しいけど、彼らの言う通りだ。私の剣術では、彼らに勝つ事など出来ない…。まして、衰弱しきった今は…。
「お前が悪いのだよ、『聖女殿』 女だてらに戦場に飛び出してしまった、美しいアナタがね…」
 そう言いながら、ゆっくりと近づいてくる二人…。
 私は…。

カアァァァァァァァァッッ!!

「…!?」
「「!!!??」」
 突然の光。そして、息を飲む音。
 目を開けて確かめたいけど、眩しすぎて、周りが見えないよ…。
「…さん」
「……」
 優しい声がする。それは、ずっと聞きたかった声。ずっと聞きたかった言葉…。
「…大丈夫ですか? ジャンヌさん…」
「…J…」
「ありゃ。私って分かりましたか? 眩しくて、良く見えないはずなのに…」
「…私を『ジャンヌ』って呼んでくれるの、アナタだけだもの…」
 それに…アナタの声、一時も忘れた事、無かったよ…。
 やがて、目が慣れてきた。私はゆっくりと目をあける。
 其処にいたのは…、間違いなく、Jだった。優しい笑みの似合う、Jだった…。
「…ごめんなさい。まさか、こんな事になってるなんて、思ってもみなかったです…」
「…二人は?」
「…私の『力』で…消しました」
「…?」
 力? 消したって…?
 そんな疑問を持った私に気付いたのだろう。Jは、悲しそうな表情を浮かべ、言葉を発する…。
「…ジャンヌさん…。私は…。私の力とは…」
「……」

 すっ…。


「…!?」
「…いいよ。言わなくてもいいよ。また、アナタに会えた事が、夢でなければ、それで良いんだよ…」
「ジャンヌさん…」
「…あはは。夢じゃない…。この唇の感触は…夢なんかじゃないんだよね…」
「…ジャンヌさん…」
 私は、何かを言おうとするJの唇に、私の唇を重ね、言葉を塞ぐ。
 そして、それと同時に、彼を…彼の温もりを感じていた…。
 初めてのキスは、涙の味…。身長差は、やっぱり理想的なものだったね…。
「…ね、J…」
「…何ですか?」
「…私ね、明日、死ぬよ」
「…!?」
 突然の言葉に驚くJ。だけど、私にとっては、それは必然の言葉だった。
 私は、黙ったままのJに笑いかけて、言葉を続けた…。
「これで良いの。これ以上ここにいても、私は何も出来ない…。ただ、生かされてるだけ…」
「……」
「だからね、決めてたの。私の最後の誓いを果たしたら、この命を捨てようと…」
「…誓い?」
「そ、誓い」
「……」
「私が、一度目の裁判にかけられた時、言われたの。男装を解かなければ、火あぶりだって。でもね、私、恐くなかったんだ。この身体が焼かれる事、恐くなかった…」
「……」
「…でも、私は生きたかった。最後の欲望を叶えるまで、死にたくなかった。『欲望』なんて、『聖女』らしくない言葉だけどね…」
「……」
「もう一度だけ、アナタに会いたかった。『ジャンヌ』と呼んでくれた、アナタに会いたかった…。それこそが、屈辱に耐えてまで、果たしたかった、たった一つの、譲れない『私』の欲望…」
「…ジャンヌさん…。私は…」
 Jは、泣いていた。私の為に、泣いてくれた。
「私は…、私は無力です…。アナタの為に、何も出来ない…。何もしてあげられない…」
 私は、そう言って泣いているJが可愛くて、そして愛しくて、そっと唇で涙を拭ってあげた…。
「泣かないで…。アナタは、無力なんかじゃないよ。私を、いっぱい支えてくれたよ。だから、泣かないで…」
「ジャンヌさん…」
 Jは、泣きながら、それでも、私の方を見て、笑ってくれる。だから、私も笑い返すんだ。
 …そして、私は心を放つ。用意していた言葉を…、最後の『欲望』を、Jに伝える…。
「お願い、J…。私を抱いて…。最初で最後の夜を、私に…ください…」



「何か、言い残す事はあるか?」
「……」
「…フン。黙して美徳を演じるか…。何処までも厭らしい女だ…」
「……」
「…これより、異端教徒、ジャンヌ=ダルクの公開処刑を行なう!」



 …私はその時、ただ、それを見ているだけしか出来ませんでした…。あまりに、無力過ぎる私には…。
「魔女が焼かれる! ジャンヌダルクは、炎の中でその身を焼き爛れるのだぁぁぁ!!」
「……」
「はーっはっはっは! もういない。『魔女』も『聖女』ももういない! ジャンヌダルクは、この世から消えたのだからなぁっ!」
「……」
 …違うよ。
 『聖女』も『魔女』も、もういない。それは正しいよ。
 でも、ね。
 『ジャンヌダルク』は、この世から消えてはいないよ。
 だって、『ジャンヌダルク』は、私だもの…。
 この丘の上に立っている私こそが『ジャンヌダルク』だもの…。
「J…アナタは…」
 …もう、分かるよね…。
 今、十字架にかけられ、その身を焼かれているのは、誰かって事…。
 …目が覚めたら、彼の姿はもう無くて、ただ、紙に残された言葉だけがあって…。



『ジャンヌダルク、アナタだけは、生きて下さい。アナタ自身が望んだ『日常』を、手にして下さい…』



 気がつけば、処刑場が騒がしくて…。其処で私が『視た』ものは…。深いフードを被った『存在』が、焼かれる姿…。
 私には、止める事が出来なかった…。何も出来ない、無力な少女の私には…。
 だた、止めてしまう事が、彼への裏切りに感じられた…。ただ、それだけ…。
「…うそつき…。何が、『無力な自分には何も出来ない』だよ…。いつもは嘘がつけないくせして、こんな時だけ、上手に嘘をつくなんて…。ずるいよ…」
 私は…。ただただ、泣いていた…。
 静かに…、でも、涙が枯れ果てるほどに、深く…。



「…? ママ? 何で泣いてるの?」
「…あ、ごめんね。何でもないの。ただ、パパの事を思い出しちゃってね…」
「パパ…? それって、ママを置いて、遠くに行っちゃった、酷い男なんだよね?」
「…そうね」
「でも、とても優しい人なんだよね。だからママは、パパの事が大好きなんだよね」
「…ええ、そうよ」
「…大丈夫だよ。ボクが守る。パパの分も、ボクがママを守るよ」
「ありがとう…。さ、もう夜も遅いわ。そろそろ寝ましょうね」
「うん。おやすみ、ママ」
「ええ…。おやすみなさい、J…」



(完 or to be...)