10月2日(土)
映画「護られなかった者たちへ」を見てきました。
元々、映画館で映画を見る行為は好きなんやけど、緊急事態宣言の兼ね合いで自身の主催するライブイベントがことごとく中止となり、良くも悪くも時間が出来たここ何か月間は、特に映画館に足を運ぶ機会が増えた気がします。

その前に、7月以降のジュークの状況について少し話をさせて下さい。
7月に予定していた「Jの触れた音」が緊急事態宣言の兼ね合いで中止になった直後、
あきたいぬの方針で、ライブ運営を全く行わない事が決まり、先の予約が入れられなくなりました。
その間、あきたいぬ以外の場所での開催も視野に入れ、数件の候補場所も考えていました。
ただ、いざそれに踏み出そうと考えた時、その行為があきたいぬに対する裏切りになってしまうと感じてしまい、実行には至りませんでした。
あきたいぬでも、それ以外の場所でも、やるからには全力やし、あきたいぬが復活するまでの腰掛けみたいな扱いにしてしまう事はその候補地に対して失礼。
不器用やなと自分でも思うけど、それがジュークですから。
今月に入り、緊急事態宣言が解けて、あきたいぬもライブ運営こそ始まったけど、HP上ではホールレンタルのページへのリンクが外れている。
まだ大々的なホールレンタル復活までは時間がかかるのかなと。

んで。
今年に入って、コロナの状況も芳しくない中。
オレは「A Piece of Missing Note」というイベント名でのイベント開催を断念しました。
今までは、このイベント名で行う際には、大人数のシンガーを呼び、大々的な形式で行ってきました。
それが人数制限的に出来ない以上、そのイベント名では無く、別のイベント名の小規模形式で行う事がより適切であろうと考え
APMNの名前は、主催チームの名称として残そうと考え、その計画を立てました。
言いつつも、実際にこの形で開催出来たのは3/20の「Try With Us」のみでしたが。

長い前置きやったけど。
映画「護られなかった者たちへ」を見てきました。
オレが見る映画を決める時は、映画館で見る際に流れる予告編を見て「あ、これ、面白そう」って思って決めるんやけど。
この「護られなかった者たちへ」の予告を見た瞬間、オレが直感で感じたのは「見たい」じゃなくて「見るべきだ」でした。
東北大震災が一つのキーワードになっているのも理由だったかもしれません。
ただ、封切りされる日を指折り数える程に、強く強く待った映画は初めてかもしれません。

詳しい内容は避けます。
ただ、オレが、この時期に、この映画を見た事には意味が在ったんだと感じました。

この映画を見て決めた事。
オレは、どれだけ時間がかかっても、あきたいぬで、あの頃の「A Piece of Missing Note」を復活させます。

このコロナ禍の中でも、オレ自身は変わってないつもりでした。
ただ、この映画を見て、オレが本当にやりたかったものを、改めて思い出しました。

オレが作りたいもの。
それは「音楽を愛する人達にとっての優しい居場所」を作る事。

コロナ禍になり、イベントやイベントに出演してくれるシンガー達も減り。
知らす知らず、シンガーの取り合いになっていて。
オレが自身のイベントにシンガーに出演してもらう事で、他のイベントが同日やその近辺でそのシンガーを呼べなくなる。
オレの行動が、そのライブハウスの邪魔になっていた。
それに対して脅しをかけられた事も在ったし、その事に関して相談をした際に、各々の様々な価値観にも気付かされました。
その中でショックだった言葉が幾つかあります。
「ライブハウスは狩場で、シンガーは獲物。狩場荒らされて獲物かっさらわれたら、そりゃ怒るだろ」
「今は、お金さえ払えば誰でも歌えるからね。いわばシンガーごっこ。でも、今の御時世、ライブハウスにとって必要なのは、そんなシンガーごっこしてくれる人達なんだよ」
的は得てると思います。
でも、やっぱ、ショックだった。

その上で。敢えて言います。
じゃあ、オレがやってるのは「イベンターごっこ」でいい。
その空間も他のライブハウスへの出演に繋げる為の出会いの場所でいい。
ただ、オレはオレの願う音楽に対して真剣だから。
その「真剣なごっこ」が本物を越える。
その為にAPMNがあって。
それを証明する為のイベントタイトルは「A Piece of Missing Note」でなくちゃいけない。
やから、チームとしてのAPMNは解散。
イベントタイトルとしての「A Piece of Missing Note」を復活させます。

出演者に対して、技術とか、経験とか、集客力とか、オレは問いません。
ただ、純粋に、音楽を愛してくれる人ならば。
プロよりも、シンガーごっこの人を優先します。
それは今までもそうだったし、これからもそう。
ただ、音楽は心を映す鏡やから。
オレが「APMNに居て欲しい」と思って声をかける人達は、誇るべき「音楽」を持った人達だと思ってます。
仮に世間的に「ごっこ」に見えたとしても。
その奥底に宿る「本物」こそが、人を救う音楽空間に繋がると信じてます。

今度のラジオの際に話そうと思ってたんやけど、この流れで必要な事やから、フライングで話します。
人には役目があると思ってて。
オレにもオレの役目があると思ってて。
率直に、今、一番オレが願うのは「老害になりたくない」です。

今、様々なライブハウス、様々なシンガー達が居て。
彼等には彼等の役割が在り、居場所を確立している。
彼等の邪魔にはなりたくない。
その上で、オレに出来る事を、これからもガンガン成していこうと思います。

上の方で少し話したけれど。
コロナ禍の中で、オレのイベンター活動に対して脅しをかけられました。
その結果、オレは、それに関連する数組の信頼出来るシンガー達に対し、APMN出演といった部分においては声をかけられないし、声をかけません。
それは「屈する」のではなく、敢えて音楽で戦わなくても良いという思いから。
オレはオレの動ける範囲の中での全身全霊をもって、APMNを築く。
ただ、彼等はオレが居なくても大丈夫。
確実に自分達で己の役割を築き上げ、前に進める人達ばかりです。
力を貸してほしいとは思うけど、それは逆に彼等がオレの力を求めてくれた時に、彼等の場所にオレが出向いて、その場を「音楽を愛する人達の為の優しい居場所」にすればいい。
それだけの話。
やから、もし近しい仲間で「僕に(私に)声かけてくれないのは何故?」って感じる人がいたとしてら、それが理由です。
場所は離れても繋がってる。
オレ達は音楽共同体やからね。
無論、巻き込める人達はガンガン巻き込むけどね(笑)

音楽を愛する人達へのお願い。
どうか、己の役割を見失う事無く、自身の信じる道を堂々と進んで下さい。
但し、決して音楽で人を傷付けないで下さい。
そして、老害にだけはならないで下さい。

このコロナ禍で、多くの「あの頃」が奪われました。
表現の場を奪われた人達も居るでしょう。
心安らぐ場所を失った人達も居るでしょう。
彼等を救う為に10の要素が必要だとして。
その10の全てをオレが出来るとは思っていません。
だから、どうか皆で力を合わせて、その10を埋め合わせる作業を成してくれませんか?
その場所を今一度作り上げるんだといった覚悟の意味を篭めて。
オレは「A Piece of Missing Note」の名称のイベントを復活させると決めました。

オレの信じる仲間達へ。
力を貸してくれ。

そして、すごくすごく大切な事。
東北大震災の傷痕は未だ癒えていません。
物理的な意味だけじゃなく、精神的な意味でも。
知ってたつもりやったけど、この映画を見て、オレの認識はまだまだ薄かったと思い知らされました。
だからこそ、信念を持って、自分に出来る事を貫かなくちゃって。
「コインを触れる」という行為が衛生上どうかなと思ってしばらくしてなかったけれど。
今後「A Piece of Missing Note」「革命ノ刻」等のジューク主催イベントでは、今一度復興支援募金を復活させます。
当日、現地で募金箱を見かけたら、優しさのお裾分けをお願いします。

今日は「護られなかった者たちへ」を見た後、軽く食事をして引き続き「僕と彼女とラリーと」を見ました。
この映画もまた、予告編を見た時に、自然な流れで呼吸をするかのように「あ、きっと、オレはこの映画を見るんだろうな」と感じました。
凄まじく心を揺さぶられ、決意をした後に。
さぁ、この後オレは、何を受け取り、どんな感情を持って、映画館を後にするのかなって思ったけれど。
今日、この流れを決めた自分を褒めてあげたい。
それも必然だったのかな。

APMNでは、レースじゃなくて、ラリーをしよう。

We are 音楽共同体! 音楽が一番スゲェんだよ!