緩和ケア病棟は、死を前に放たれるエネルギーを受け止める場所でもある。

 

患者さんは皆、自分自身を生きる旅をしている。その身体を通じて、持ちうるエネルギーを出し切らなければ、その肉体には終わりが来ない様に感じる。抑圧してきた感情もその一つだ。

例えば、せん妄と呼ばれる状況。自分がどこにいるのかわからなくなったり、わけが分からず点滴を抜いてしまったり、攻撃的、暴力的になったりすることもある。病気の進行や薬物や環境の変化などが、原因とされたりするが、せん妄は自分自身のエネルギーの解放とも言える。

 

患者さんが傷ついたり、スタッフが負傷してはいけないから、症状が危険な場合は、薬物によるコントロールや、やむを得ずの身体的拘束が試みられるかもしれない。しかし、決して根本的なアプローチではない。

 

かえって抱え込んだ、凄まじいエネルギーを見えなくさせ、増大させるだけかも知れない。

その力の源泉は、決してその患者さん個人のものではなく、実は私達人間が共有している、抑圧し封印してきたものと通底している沼の様にも思う。

そのエネルギーを受け止め流していくこと、沼の奥底に光を届けることこそが大切だ。

それは、患者さんであれ、ケアするものであれ、私達がより自分自身になるための旅を歩んでいる事への自覚であり、敬意であり、皆がそうできることへの祈りでもある。

 

患者さん一人ひとりが、例え癌の終末期であろうと自分を生きる魂の旅の途上にあり、それを支えケアする家族や私達スタッフ一人ひとりもまた、旅人なのだ。それぞれがより自分自身であることが、だれかの旅路の足元を照らすことにもなること。私たちの旅が共鳴し、繋がり交わりながら、大きな生命を象っていること。そこに気づき開かれていくことをサポートすることも、|いまここ|病棟のミッションでもあると思っている。