アート ラン スペース 

オルタナティブ スペース

か。そんな言葉に行き着くのは正に今。






私は小さいが築55年の一般住宅を所有し、作品発表の場

にしようと1人黙々と所謂リノベーション

始めた。(現在助っ人として2名がリスペクトという形で手伝ってくれてはいるが)基本1人の作品を作るような工事を日々やっている。



ベクトルは、リメイクを最重視しているのと。

お金で権力で安易に解決しない。という事。

生かしていくやり方。

勿論費用もないから行き着いた考え方かもしれないが、自分の時間を直接使うことで

無いから実現出来ない」という過去の自分の発想がこれで解決されることになる。




自由」というのは何をもって自由か。

私自身が一見すると自由に見える事が多いようで、

私は自由という言葉も問う身近な言葉に変わったのだけれど。

決まりがあるその中でどう工夫するのか

これが現在私の考える自由。

話の道中をすっ飛ばして最後にくる答えをだすと

「思想、志」=「自由」と解釈している。




建物で新たに建てるものでない。

55年建っている、経っている住宅にてをつける

ということは決まりが沢山存在している。

それを知り引き算、足し算。をしてる最中。





脱線したのですが、そんな建物で展示スペースを

作ることにしているが。

他者と向き合う為。言葉が必要。

まずギャラリーではない。

画廊でもない。

美術館、、、所有物の展示になる要素が強いので。これが妥当か。とも思ったが、普及している美術館のイメージを足して考えるなら狭い、販売しないわけではない。

少なからず私が影響、関連のある他者の作品を所有していたり

何故か運ばれてきたもの。

などもある。

同じ製作するものとしては

眠らせる。という悪意は

ない。


アート ラン スペースや オルタナティブスペース

というのが近いかと考えている。

がまだガシッとくる言葉が見つかるかもしれない。


そして都心部ではない最果てに。

という場所からの発信を。

これはコロナが課題になる前に

違う課題から私が行き着いた答え。

その希望が形となった。



一番伝えたいことは

数年前はただの想像、理想、願望であったことは

少し発想を加えれば広げれば現実に

なっている。

ということ。


未来は自分にもわからない。

だから創造が大事で

芸術の場は必要不可欠かと思う。




そんなスペースを動かしていこうとしていてる。



「選別はどうするの?」

「いろんな人が発表したいといった場合?」


という質問があって

基本は自分の発表が軸の場所である。そして

自分というのは、関わった人、影響を受けた人、作品で出来ているので。答えは決まっている。


それは建築家であるかもしれない、デザイナーかもしれない。文豪かもしれない。

他分野の方からのリスペクトも大いに受けていて関わっている。私は欲も熱意も伝えて自分からお願いし作品を展示させてもらうかもしれないが

経過にあるものが主体です。


ゴミと芸術は紙一重。

その間にあるのが愛かと思います。



私はその希望を実現する

手段を現在知りません。

作品を(スペースを)作る、描く

ことで伝えていくことしか。








近況報告でした




AI  KISARAGI Contemporary Art