今、子供から大人まで日本中で大きな話題になっている『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴 ごとうげこよはる) さん 作)。

鬼滅の刃の中で見られる様々なマインドフルネス的要素の中でも、『怒り』をテーマにして小島美佳、松村憲、s子の3人で対談してみました。

 

 

鬼滅の刃で描かれる『怒り』とは

 

松村憲:鬼滅の刃で1つのエッヂが効いているところで、多くの人たちの無意識、集合意識に響くところは『怒りの扱われ方』だと思ってます。なぜかと言うと、この物語は主人公たちやその仲間たちの中に『怒り』があるんです。

例えば『鬼に対する怒り』みたいな。
怒り、特に強い怒りは多くの人にとって抵抗があるので、なかなか怒っていることを受容できないと思うんです。

でも実は人間は意外とたくさんの怒りを持っていて、けれどもどちらかと言えばその怒りを抑圧してしまいがちです。

瞑想やマインドフルネスにはいろんな効果がありますが、続けていくと自分の中で抑圧していた感情があれば出てくるんです。

なぜかと言うとそれがより自然に適っていて、そのほうが心身共にヘルシーだからです。
だから怒っているんだったら怒った方がよくて、怒っているのに「怒ってない」とか言っていると、どんどんそれが自家中毒みたいになって停滞しちゃうわけですよね。

極まれば鬱になるかもしれません。
ありのまま、今ここに集中していくと怒りが出てくるというのは、自然な流れです。

ただそこでマインドのブロックとかも働くので、そこはそのブロックも含めて気づき、怒れるようになるとか、感じられるようになることはすごい重要だなと思っています。

 

 

そういう風に考えると、鬼滅の刃の主人公たちは、ここをすごいちゃんとやっていますよね。

主人公の炭治郎少年は優しい少年なので、鬼を倒すことに葛藤したりとか、自分の妹も鬼になっちゃっているし、怒ることに葛藤します。

でも師匠や先輩から「それではダメだ!」「怒れ」とすごい言われたりするんですよ。
一方で、その怒りの感情に乗っ取られ、自覚が全くなくなってしまったら、おそらく自分も鬼になってしまうんですよね。

 

小島美佳:なるほど。

 

松村憲:だから、『鬼滅の刃』では「鬼を倒すために」とか、その怒りの力を理不尽なものを倒すためにうまく使っていく、怒りに目覚めていくストーリーだなぁと思っていて、そこの描かれ方も面白いところだと思います。

 あと日本人はどちらかと言うと文化的にも民族的にも怒れなかったりすると思うので、そこもやや関連しているかもしれませんね。日本人としての集合意識のエッジに触れているというか。

 

自分の中にもある『鬼』に気づく

s子:あと興味深かったのが、家族や大切な人を鬼に殺されたから鬼殺隊(鬼と戦う剣士によって結成された組織)に入る人が多いんですけど、人間にひどい目にあって絶望した人の前に鬼の大ボスが現れて勧誘されて鬼になる人もいれば、逆に冤罪で牢獄に入れられてもうすぐ人間に処刑される!って時に人間の親方様(鬼殺隊のリーダー)が現れて、「無実は知っているよ」と助けられて、鬼殺隊に入る人もいるんですよ。
 「わー、もーおしまいだー!」って頭が真っ白になってしまった時に、誰が助けに来るかによって、その後の人生が全然変わっちゃう分岐点みたいなのも描かれていて面白いなと思いました。

 



小島美佳:面白い、それ現実と全く一緒じゃないですか。

s子:そして鬼になると、人を襲って食べれば生き永らえられる。寝なくていいし働いてお金稼がなくていいし、負傷してもすぐ再生するし永遠の命が手に入る、という設定なんです。
作中で「鬼、すごいいいよ!鬼になれよ!」って鬼が鬼殺隊の人たちを度々ナチュラルに勧誘するんですよ(笑)。

で色々葛藤して、鬼殺隊から鬼になっちゃう人もいるんです。

あんまり言うとネタバレになっちゃうんですが(苦笑)。

 

松村憲:面白いですね、その視点は。
僕は鬼に家族を殺された人たちが鬼殺隊に入るっていうイメージがありましたけど、確かに逆に人間にひどい目にあって鬼殺隊に入るってストーリーもありましたもんね。

小島美佳:なるほど、なるほど。

今の話を聞いていて私が思ったのは、強い感情・感覚みたいなものが自分の中であると認識しながら生きるって、苦しいじゃないですか。

だから鬼殺隊の道を選択することはいわゆる茨の道ですよね。
耐えきれなくなって、「もう感じたくない、それがない世界にいきたい、そうしよう」という(つまり逃げる)選択がある、鬼になるという道があるのが興味深い…。

そして選択した結果、鬼たちもさほど幸せではないのかもしれませんが。

 

松村憲:なんかそういうことですよね。

だからそう考えると、鬼も私たち人間もほんとに紙一重って言う。

 

s子:そうですよね、自分の中にすでにある鬼を認めるか認めないか?出すか出さないか?みたいな違いなのかな?と思いました。

鬼滅の刃で描かれる鬼たちも絶対的な悪ではなくて、鬼化するかは紙一重、みたいな。
瞑想やマインドフルネスなどによって自分を観察して一時的に鬼的な要素を出して認めて昇華するというやり方もあるし、見なかったことにする人もいるだろうし、気づかないまま「鬼はいなかった」で人生終わる人もいるだろうし、そのまますんなり鬼になってしまう人もいるだろうし、いろんな生き方があるんだろうなと。

 

松村憲:そうですね。

 

※こちらの記事は「Mindfulness」に掲載している内容です。

 

---------------------------------------------

松村憲へのお問い合わせはこちら

お仕事のご依頼、個人セッションのご相談など、

お気軽にご連絡ください。

 

ヨガする心理学者 松村憲

公式HP/https://www.bluejigen.com/
公式メルマガ/https://www.itm-asp.com/form/?3108
twitter/https://twitter.com/matsumuraken1
youtube/https://www.youtube.com/channel/UCbUsNWjnN51creM45ihdcBg

---------------------------------------------