こんにちはおねがいおねがい

 

 

今日は韓国のMBCラジオにPaul McCartneyの専属カメラマンとして知られるMJ KIM氏が出演された記念ということで!!

 

 

MJ KIM氏に関する記事を、だいたいこんなニュアンスだろうという感じで、できる限り忠実に?訳してみました!(かなり長いので注意注意

(もし誤訳があったら教えてくださると嬉しいです!笑)

 

 
お願い原文リンク
 
ビートルズメンバー、ポールマッカートニー(77)の専属カメラマン、MJ KIM(本名: キム・ミョンジュン、47)が最近初の著書である「今日も人生を撮ります」(ブックストーン: 14,000ウォン)を上梓した。
 
22日午後、ソウル江南区宣陵路のキヤノンギャラリーで出会ったキム氏は「華麗な成功談よりは、ある時人生のルーザー(負け犬)だった自分の失敗談を韓国の若者に伝えたいと思った」と語った。
 
彼は2008年から11年間、マッカートニーに影の如く付いて回った。彼の公演と楽曲制作環境をカメラに収めた。大学で写真を専攻したこともない。大学入試の失敗が、彼の経歴における劇的な出発点となった。
 
『大学入試に落ちた後、気落ちしてアメリカ留学に踏み切りました。ところが留学エージェントのミスでビザが下りなかったんですよ。ビザが取得しやすいイギリスに急遽行き先を変更しました。そこが人生の始まりだったのでしょうね。』
 
ロンドンの大学で映画を研究し、写真のアルバイトを始めたことが、強運を引き寄せる端緒になった。彼は「初めは夜に食堂で厨房補助とウェイターの仕事をしたが、遊ぶことが何よりも好きなタチなので夜は遊び、昼間働けるアルバイトを探した。それが写真の仕事だった。」と話す。
 
写真の魅力にとりつかれ、昼夜独学したのちに現地の小さいマスコミの見習い社員を経てゲッティイメージヨーロッパ支社のエンターテインメント所属カメラマンにまでなった。以降、フリーランスでスパイスガールズやマイケル・ジャクソン、マッカートニーを撮るようになった。
 
今月(7月)1日より始まり来月4日までキヤノンギャラリーで開催される出版記念写真展「MJ Kim: Life & Photography」には、マッカートニーやスティング、コールドプレイ、マシュー・マコノヒーなど多様なポップスターや俳優を撮影した彼の写真が展示される。彼は始終マッカートニーを「ポール卿」と呼んだ。
 
『展示場の真ん中に最も大きく展示されているポール卿の写真は、私が一番大切にしている作品です。ポール卿と初めて1対1でポートレート撮影をした日に撮ったのです。その日のことはいまだに鮮明に覚えています。あの伝説的な方に『ああして、こうして』と言い、ポーズを注文しようとしてどんなに震えたか・・・』
 
キム氏は数日前まで「ポール卿」と一緒にいたという。
 
『今回の北米ツアーの最後の舞台である13日のアメリカ・ロサンゼルス ドジャースタジアム公演でビートルズ時代の同僚でありドラマーのリンゴ・スターが突然出演しました。2人は大変仲が良いです。いまだに会えばふざけたり冗談を言い合ったりするのに忙しいです。一度おふざけ対決が始まると互いに一歩も譲りません。』
 
彼が話すマッカートニーはおふざけマニアだ。巨匠の前でガチガチに緊張する人々を楽にさせてやろうと、いつもまず先に笑いを引き出す暖かいおじいちゃんだ。

キム氏の左腕には、数年前にアメリカで彫った入れ墨がくっきりとある。「And in the end, the love you take is equal to the love you make」。マッカートニーの公演のテーマであり、最後の曲として歌うビートルズの「ジ・エンド」の歌詞の最後の一節。

『美しく意味深長な歌詞であるだけでなく、ポール卿と私にとっては「ああ、公演が終わった。今日一日もしっかり終えられた」という格別な意味があるんです。入れ墨をしてから初めて再会した日、ポール卿が私を見るや冗談を言うんです。「お前、なんだ、ミドルエイジクライシスにでも直面してるのかい?」』
 
キム氏は自分の人生に3つのコーダという祝福があったという。1つ目の祝福は、大学入試に落ちたこと。2つ目の祝福は、アメリカのビザが下りなかったこと。3つ目の祝福は、故国のアジア金融危機で資金不足に陥りイギリスの大学を退学したこと。

『当時は酒浸りになったり泣いたり苦しかったですね。最大の苦難だから。思い返せば、そこからが別の素晴らしいことへの出発だったんです。』

キム氏は『全ての人を同じ型にはめ、その後失敗したら、自らを落伍者と思わせるシステムが問題だ。韓国は失敗に対する寛容度が低い。』と話す。彼は本を出版した理由に対しても『若者たちに「自分のような負け犬もここまで来れたから、一度石橋を叩いて渡ってみて」 と話したかった。本に成功談より、失敗談をたくさん載せることを願った理由。』と語った。彼は『私のように写真を撮る人は世界中に散らばってい』ながら『実力はもちろん、アーティストと呼吸を合わせ一体となれる情熱と人情味ある態度が重要だ』と語った。

彼が唱える「熱心論」も少し変わっている。

『将来のために今の楽しみを諦めることは間違っていると思います。仕事も遊びも全部一生懸命熱くならなきゃならない。楽しみと幸せも、運動みたいにトライしてこそ、増加していくと思うんです。』

彼は「金や名誉を得たら幸せになるだろうか」と言い、幸せをおざなりにすれば実際に名誉ある立場に到達したとしても幸せではないだろうと語った。幸せは練習なしには自らついてこないから。

『幸せを必ずしも自慢する必要もありません。インスタグラムは全てフェイクです。些細な楽しみを自分で見つけ出せればと願います。私もやはり一日中仕事に全力を尽くした後、アフターワークには同僚とパブに行きわいわいビールを飲んだものです。』

イギリスとアメリカで暮らしたキム氏は2017年の初め、妻と一男一女を携えて帰国した。

『子供たちがイギリスとアメリカで育ち、韓国文化がよくわかりません。非常に手遅れになる前には覚えてもらいたいです。私が初めて留学した時だけでも韓国は説明が必要な国でした。今やKPOPと韓流ブームに力を注ぎ、素敵でクールな国になったじゃないですか。誇らしい我が国について子供たちがより一層理解してくれると嬉しいです。』
 
世界的な巨匠とたくさんの仕事をしたので、今は祖国の巨匠との仕事をしてみたくなったという。既に防弾少年団、TWICE、ファン・チヨル、2PMなど人気歌手のスチール撮影をしたが、夢はもっとある。

『いくら私がポール卿、フー・ファイターズ、スティングの音楽を好きだと言っても幼い頃から韓国で聴いていたチョー・ヨンピルさんの歌とは比べることができません。血や生活に刻まれた朧げさとでも言いましょうか。最近イ・ウンミさんと仕事しながら感じました。チョン・イングォン、イ・ムンセ、イ・スンファンのような我が国の伝説らと仕事してみたいです。』

キム氏は、今KPOPが全世界的に熱くなっているが、アイドルに傾く韓国音楽市場ばかりに注目すべきではないと見る。

『2016年にアメリカで開かれたと「デザートトリップフェスティバル」にポール卿を撮りに行きました。ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、ザ・フー、ロジャー・ウォーターズの音楽をともに楽しむ10〜70代の多様な年代に感動しました。我が国でもロック、演歌、ポップスなど多様なジャンルの音楽が均等に発展したら良いなと思います。』

世界の荘厳なスタジアムを駆けずり回ったキム氏は、最近ソウルの隅々を歩き回って撮る写真に熱中している。ドンホ大橋、ソンス大橋、ヨンドン大橋を歩いて渡り、漢江の風景を撮影しているようだ。

『小さいカメラ1台に、28㎜と50㎜ のレンズだけを持って行きます。泡に溺れているという、些細な写真でしょう? 人生もそんなようなものだと思います。一世一代の事件や事故より、ささやかな日々が集まって人生になるじゃないですか。今回の本を執筆しながら、写真に加える文を書くことも趣味のひとつになりました。』
 

携帯電話の写真もよく撮るのかと尋ねた。彼は『家でしょっちゅう撮るが、妻にはちゃんと撮れていないと怒られる』と笑った。


『ポール卿やオバマ大統領の写真も記憶に残るが、私の心に残る最高のアートワークは結局家族写真だと思っています。私が何かを創造するために自らを縛り付けるのは違うじゃないですか。私の生活の一部分を自然に表現する、それがまさしく私の人生であり軌跡でしょう。60、70代に回顧展を開くとするなら、最も重要な場所にはおそらく家族写真を展示するでしょう。』

イム・ヒユン記者 imi@donga.com
 
 
※7/27微修正