感動プロモーター 矢部大のブログ -120ページ目

感動プロモーターヒストリー

バク転講座 携帯版




1975年 3月31日 




私は、東京の八王子にて産まれました。






父は転勤族で、




幼少期を京都・大阪で過ごした後、




5歳のときに再び東京・八王子へ。






小学校、中学校の成績は普通。




運動は、普通の人より若干得意ではありましたが、




特に突出した能力も結果もありませんでした。








そんな一般的な小中学生時代の終え、




高校進学後のある日、人生の転機が訪れました。








当時の私は、演劇というものに全く興味がありませんでした。




そんな私が、たまたま興味をもった女優さん目当てで、




舞台を見に行きました。








その演劇で、私は人生を大きく変えるほどの




感動と衝撃をうけました。






「この舞台に立ちたい!」






その舞台はシェークスピアの「から騒ぎ」という戯曲。




演出家は野田秀樹。






今まで感じたことのない感覚と衝動にかられました。










「人生の目標がこれで決まった!」






単純な私は、すぐに演劇の雑誌を購入、演劇の養成所を探し、




家から近いところにあった新劇の養成所へ入所しました。








アクト青山ドラマティックスクール




>>アクト青山ドラマティックスクールHP




この素晴らしい養成所で、




お芝居の基礎からコトバの研究まで深く学ぶ事ができました。










高校と演劇養成所とのダブルスクールの毎日を送る中、




進路を決めなくてはいけない時期がやってきました。








「大学に行け!」という両親の希望も踏まえ、




なんとか演劇をできる学校がないものか?と探していると・・・








「日本大学 芸術学部演劇科」




を見つけ出し、受験、合格しました。










大学時代の私は、




セリフ修行から人間の「五体表現力」に注目し、




パントマイムを勉強しました。






世界どこに行っても 「壁」 というパントマイムは伝わります。






パントマイムこそ




ノンバーバル(言葉を使わない)コミュニケーションの




極みであると感動し、




これこそ真のエンターティメントであると考えるようになりました。








また、大学入学当初から






「野田秀樹さんのように脚本・演出・出演の劇団をたちあげたい!」




と思っていたので、




学生メンバー10名を集めて劇団を設立、




日々、公演と演劇の練習に明けくれる日々を過ごしました。






バク転講座 携帯版







劇団を立ち上げ芝居に没頭




公演をしていくうちに、




「自分で立ち上げた劇団では了見が狭い!」




と思い出しました。






「究極の五体表現になりたい!」




「究極の五体表現者とは?」




「バク転でも、パントマイムでも、車にひかれるでも・・・




何でもできる人!」






これが役者の重要なスキルであると考えました。




アクロバットができる五体表現者・・・










「スタントマンだ!」と思い立ち、








日本一有名なスタントマンプロダクション 千葉真一さんが学長を務める




JAC(ジャパンアクションスクール)のオーデションを受け合格しました。






大学とJAC養成所の2足のわらじを履いて訓練の日々を送りました。




このジャパンアクションクラブは、はっきりいって地獄でした。




週6日間のレッスン。








内容は、




日本舞踊・ジャズダンス・演技・




器械体操・少林寺拳法・極真空手・




現代殺陣・時代殺陣と筋肉トレーニング。






それはそれは、きびしいトレーニングでした。






卒業までの1年間で、筋肉で10キロの体重が増えました。






その厳しい訓練に耐え、




「何でもできる人」になり、




栄誉あるジャパンアクションクラブに入団しました。






すると・・・




何でもできる人!




にはたくさん仕事が舞い込んできました。




バク転講座 携帯版






本当にいろんな舞台を経験させていただきました。




バク転講座 携帯版






学生時代からスタントのお仕事やイベントや映画など、




いろいろと影のスタントマンとして仕事をいただきました。










20歳のときに大学の先輩であり、




JACの先輩である真田広之師匠の付き人になりました。




バク転講座 携帯版







蜷川幸雄演出の「ハムレット」に参加






師匠 真田広之さんと蜷川幸雄「ハムレット」にて




大学を卒業後、いろいろな舞台に出演しながら、




食べつないでいました。








ただ、この世界は毎日が日雇い生活。




一つの仕事が終わると、




次の仕事が必ずあるという保証はありません。






だからこそいつも全力投球。




ひとつひとつの現場が新人という心意気で取り組んでいました。




ただ・・その生活に、疲れが見え始めていました。






演出家と役者という構図は使う側・




使われる側という雇用の関係でしかないのに




気付き始めていました。






そんな、24歳の時に




つかこうへいさんの演出で「蒲田行進曲」に出演しました。






バク転講座 携帯版





少年隊の錦織一清さんや、




SMAPの草彅 剛さんとの共演でした。






チケットは、即完売。




プレミアチケットになりました。






ジャニーズの人気の高さと




スターの凄さを身近に感じる経験でした。








世に認められている 




一流の演出家、一流の役者さんとの共演。




一流の舞台への出演。






私が15歳のときに思い描いた夢。




「芝居をやりたい!」




という夢が叶った瞬間でした。






そして、私の中に、




次の夢が生まれていました。






大部屋ではなくて、作る側に行きたい!




自分ががむしゃらに走ってきて




夢はかなうものだと知ったときに、




次の道を歩もうとしていました。








24歳で満足感を胸に、役者業を廃業しました。






そして、新しい夢




「創る人間」 になるため、




父親の経営する会社




経営コンサルタント会社へ入社しました。






社員10名ほどの小さな父親の会社です。




>>父の会社 クオリティーマネージメントHP








経営コンサルタント会社とは、




売り上げをあげるためのノウハウや仕組みを




教えることを生業としている教育会社です。









私はスタント・役者稼業していたので、




経営のことはまったく無知の状態でした。








ただ、役者時代、仕事がない日には、




当時ブームだったウィンドウズ3.1から




PCだけは触っていました。








おかげで、ホームページを作成することもでき、




パソコンの知識は身についていました。








当時、ITブームでもありましたので、




社内で、システム構築やデータベース作成にあけくれておりました。






初めて勤めた父親の会社は、




「社長のためのセールス革命」




という中小企業の経営者を対象にしたセミナーがメインの業務でした。








そのセミナー運営の補佐的な役割を




果たすことが私のメイン業務でした。








しかし、生徒さんがすべて社長ということで、




一筋縄にはいきませんでした。







参加者の経営者の会社規模は、




下は数億円から上は数兆円までの企業でした。








裸一貫で、その規模の会社を立ち上げてこられた方々。








凄腕の方々の集まりでしたので、




かなりの勉強と人間学を学ばないとついていけません。






会話にも参加できません。






父親の息子ということで、




かわいがってはもらいましたが、




そこにある会話は、よそよそしくあまり実のない会話ばかりと感じていました。








そして・・




あるときに気づきました。




「自分という存在は他人にどう見られているのだろうか?」








私は社長の息子です。




社長の息子というものは、どのように評価されるんだろう?








役者時代にはよく五体表現とは何か?




エンターティメントとは他人からどのように見られるか?




どう表現するか?ということばかりを考えていました。










一般的に、社長の息子のイメージは、




「金持ってるんでしょ。」




「バカでしょ。」




「わがままでしょ・・。」








いわゆる世間一般的に見られる風体は




バカ息子でした。






役者やスタントの世界が長かったせいで






世阿弥の「離見の見」




(人から見られる自分と自分から見る自分は一致しなくてはいけないということ)




ということを考えたときに




自分の存在価値。




自分のいる場所。




自分がどうみられているのか?






ということをいつも考えていました。








「自分が演じなければいけないことは何か?」




「この会社で演じるべき社会的なエンターティメントとは何か?」






演劇的にいえば「道化師」のような存在が




目指すべき個所ではないかと考えました。










道化は芝居をひきたてるとても重要な役で、




観ている観客を和ますこともできる。








道化は自由自在に変化できる。




自分は道化で良い。




そう思いながら、日々の業務をこなしていました。










あるとき、ふと思いました。






世の中の社長の息子がどのように事業を承継しているのか?








いずれ、私は、この会社を引き継がなくてはいけない。




2代目だから、社長の息子だから、継がなくてはいけない。








私が継ぐ会社は、経営を指導する会社。




指導するにはノウハウがいる。




そして、山ほど勉強しなくてはいけない。








ただ、勉強だけすればよいのか?




知識さえ身につければいいのか?








経営コンサルタントにはスター性が必要です。








スター性とは何か?




演劇論でいえば、その役になりきらなくてはいけません。




会社の社長の立場になるためには?




社長の立場になって導くにはどうすればよいか?








考えに考え抜いた結果・・・




「そうだ!自分で会社起こそう!」




自分が社長になれば社長の気持ちがわかるに違いない。








社長が何に困っているのか?




社長が何を悩んでいるのか?




社長はどんな答えが知りたいのか?








自分が体験して、それを伝えればいいことに気付きました。




まずは、自分がたどってきた道を活かさない手はない。








人脈をたどり、仲間を集め、方法を模索して、考えた結果。




自分が教えることができるのはアクションだ!




スタントだ!




演劇五体表現だ!










ということに考えがまとまりました。






そこで・・会社を興すことを決意しました。








会社設立すれば社長の心がわかるはずだ!と考えました。








27歳のときに、一人では不安なので、




当時、超有名声優事務所に勤めていた




椎名恒と一緒に株式会社ワーサルを設立しました。










学生時代の朋友:椎名とともにスタント会社ワーサルを設立




>>株式会社ワーサルHP




>>株式会社ワーサルHP 2







アクションスクールで生計を立てる。






インターネット、ホームページで




各種制作会社へ認知してもらう。






本当に当たり前の営業方法を実践しました。








私には父親から教えてもらった




経営コンサルタントとしての




売上を上げる方法がありました。








この売上を上げる方法が本当なのか?




確かめるために実践しました。




そして・・




見事に成功しました。




勝利しました。








インターネットの集客はわたくしの得意分野。




そしてクロージングは父親の手法。








この2刀流で経営をおこなったところ




アクションスクールの生徒様も多数集まりました。








そして、お仕事もたくさんいただきました。






バク転講座 携帯版




>>本の情報はこちら





そのときにじっくりと読んだ書籍がこれです。




人間学が中心となっている書籍です。




営業の人間品質を説いております。








自分の好きなことで起業し、




継続することの大事さを知りました。










起業に必要なものは情熱と




少しの知恵と尋常でない努力が必要だと気付きました。








好きなことを目的をもってやる!




これがビジネスの鉄則であることに気付きました。




私は仕事が楽しくてしょうがないのです。








ワーサル社を、順調に経営していく中で、




また新たな気付きが生まれました。








アクションスクールには




沢山の体験希望者がいらっしゃいます。








なぜこんなに体験希望者が来るのか?






そこで、体験希望者の方達から話を聞きました。






そして、あることが分かりました。




バク転・・・




皆さん「バク転」を習得したかったのです。








ある経営の書籍に書いてありました。




「お客様の困ったことを解決すること」




がビジネスの大切な要素である。








バク転という技は憧れている方は多いのですが、




非常にリスクの大きい技です。






もし頭を打ってしまったら




再起不能になるぐらい危険な技であることは確かです。








だから、世の中で大人にバク転を教えるというのはご法度でした。






でも・・




圧倒的にバク転をしたい人が多いなら、やってしまおう!






『 バク転専門講座 』






>>バク転専門講座HP








30歳のときにスタジオを




確保して2時間の個人集中レッスン講座を開設しました。








見事、これが当たりまして月200人を越える受講者の数々。








マスコミも数十社とりあげていただきまして、




2009年度、王様のブランチにて今年のトレンドで取材を受けました。










バク転スタジオには予約が殺到し、




現在、都内4箇所にスタジオを増やしました。






また、ワーサルにも人材や所属タレントが増え続けました。








そして、最近は夢だった劇場もオープンしました!!!




>>ワーサルシアター情報はこちら








順調に8年間、株式会社ワーサルを経営しております。




ただし、私が一番やりたいことは、経営コンサル。




ワーサルと父の会社を8年間両立させてきました。










20代も終わるころ、




ワーサルも人数が増えてきまして、




毎日PCやら肉体労働の日々。








仕事に対する情熱もルーチンに変わりつつある頃。






新たに情熱が注げることは何か?






とアンテナを広げていたところ、日常の中から、あることに気付きました。






私はビールが好きなのです。










日々、ビールを消費する私がいました。






経営コンサルタントとして、




指導にあたる飲食店経営者の方もいらっしゃいました。








飲食店の経営者が悩んでいることは何か?




との問いに悶々とする毎日だったこともあり、




「だったら、飲食店やってみよう!!」と心に決めました。








それが30歳の夏。






人生の節目の30歳!




情熱と心意気と勢いで、前進してみようと決めました。








とは言っても、飲食店の世界は全くの素人。






何からスタートすれば良いのかまったくわかりませんでした・・・。






世の中に山のように飲食店があります。






ただ、一口に飲食店といっても、




いったいいくらかかるものなのか?








どれぐらいの広さが必要なのか?




設備は?




出す料理は?




コンセプトは?




ターゲットは?




等々・・






山ほど考えなくてはいけないことがありました。




ただ・・それは情熱がすべて解決してくれました。




分からないなら、一つ一つ、調査してみよう。










この飲食店経営の目的も、




経営コンサルタントになるために




飲食店経営を経験することでした。










さまざまな分析をして飲食の立地、単価、ビールの仕入れや、




人材など人に助けてもらいながらも




なんとか30歳の12月に




スタンドバーから騒ぎ場をオープンしました。






>>スタンドバーから騒ぎ場HP








から騒ぎ場の由来は15歳のときに観たお芝居。






名前のシェークスピアの




「から騒ぎ」という戯曲をコンセプトに演劇人が




集まれるビールバーというコンセプトでオープンしました。






これでわたしは法人3つの3足のわらじを履き始めました。






情熱はビール、





目的は経営コンサルタントの事業を引き継ぐための体験







飲食店事業も順調です。




八幡山にも新たに、ビールバーをオープンしました。








2年前に博多の尊敬する飲食店の社長さまから




東京店の出店を頼みこんで、餃子もつ鍋のお店






バク転講座 携帯版






33歳のときに博多餃子舎603をオープンしました。








現在、3足のわらじですが、




株式会社エフ・データクリエイション




の社外取締役も兼任しております。






>>株式会社エフ・データクリエイションHP








さまざまな業種に携わることができ、




やっと最近、社長の心というものが




ほんの少しわかってきた気がします。








現在、わたしは経営コンサルタントの事業承継という使命をもって




会社経営と日々のセミナーなど開催しております。










世の中には経営コンサルタントと言いながらも




個人で営業して顧問会社を探し、




誰かから聞いたコンサルノウハウで高額なセミナーを行っている方もいます。








経営コンサルタントならば、自分で会社経営して成功せよ!






自分の成功ノウハウを語れ!






経営を実践している体験型コンサルタントという道を目指しております。






自分で経験することの尊さに勝る実践論はありません。






私の勝利への道は徹底的に考え抜くことであると考えます。




それも短時間で時間を決めて、考え抜くことにあります。




そして、考え抜いた結果、即行動に移すことがモットーです。








自分で来て観て触る。




体験すること・・それが大事だと思っております。






行動した分だけ必ず自分に良いことも悪いことも返ってきます。




鍛えた筋肉はうそをつかない。








私は自分の体験をもとに、




経営コンサルタントとして活動しています。






具体的な喜びの種まきができるお手伝いを心がけ、




世の中にエンターティメントを提供して、




経営の楽しさを伝えるために活動していきます。














略歴年表




□昭和50年 3月31日 誕生






□0歳~15歳  普通の小学校・普通の成績・ちょっと人より運動神経が良かった。






□15歳 アクト青山ドラマティックスクールにて新劇を学ぶ






□16歳 バイクと演劇と学生生活に明け暮れた日々






□18歳    日本大学明誠高等学校 卒業




         日本大学芸術学部 演劇学科 演技コース 入学




         学生仲間を連れて 劇団MUUを結成




         脚本・演出・出演の3役をこなして劇団主宰となる。




         パントマイムを極めるためストリートでパフォーマンスを実施








□19歳   劇団MUU 第二回公演を開催 その後、すぐ解散




        ジャパンアクションクラブ(JAC)に入所 ダブルスクールとなる。








□20歳   ジャパンアクションクラブ 正式メンバーになる




        大学・JACの先輩「真田広之」の付き人となる。






□21歳   狂言師 野村万乃丞さまとわざおぎ塾へ参加




        さまざまな舞台・ドラマ・テーマパークなどに出演・スタントで活躍






□22歳   日本大学芸術学部 卒業 




        イギリス・アメリカ・イタリアへストリートパーフォマンスを行う






□23歳   日中国交正常化25周年記念の歴史的公演に出演 




        皇太子の前で演目を披露する




        世界遺産 宮島の厳島神社の能舞台にて狂言「唐人相撲」に出演






□24歳   つかこうへい演出 「蒲田行進曲」 シアターコクーンに出演

       

       

        役者を廃業 就職への道を歩む






□24歳   父親の経営する経営コンサルタント会社




        株式会社クオリティマネジメントへ入社、セミナー運営に従事する




        http://www.qmw.co.jp
 




        社長のためのセールス革命




        という中小企業の社長を対象にしたセミナー運営に参加する。




        主にIT関連分野を社内にてシステム構築、ホームページなど担当する。






□27歳  スタントマンの芸能タレント事務所、株式会社ワーサルを設立。




       代表取締役となり経営というものを実体験する。




       http://www.worsal.com/
(芸能タレント・一般人材派遣) 




       http://www.uden..jp






□30歳  飲食事業 「から騒ぎ場」(ビールバー)をオープン。飲食事業も実体験する。




       http://www.carasa.jp/






□32歳  飲食事業「から騒ぎ場」 2店舗目を八幡山にオープン




       結婚




       株式会社ワーサルにて「バク転講座」を開始:世の中にウケる








□33歳  株式会社ワーサル 一般労働者派遣事業許可 ※般13-303516を取得




       人材派遣の領域を広げる






□34歳  飲食事業の別業態 博多餃子舎603 東京店をオープン




       http://www.win603.com/







       株式会社ワーサルにて小劇場をオープンする




       http://worsal.com/theater/index.html







       マッスルミュージカルの演出家 中村龍史さん率いる劇団の殺陣演出を担当




       http://nakamura-japan.net/home.html






       第一子 誕生 3月4日 












矢部大 略歴




昭和50年3月31日生まれ  日本大学芸術学部演劇学科卒 






学生時代から舞台にとりつかれ、


大学在学中から究極の五体表現を求めて、


ジャパンアクションクラブに入団、スタントマンとなる。






テレビや舞台など出演。


海外のストリートパフォーマンスは数カ国におよび、


皇太子の前で舞台を鑑賞していただくなど、役者としても活躍の場を広げていた。






24歳のときに廃業し、実家の父親が経営する、経営コンサルタント会社に入社。


営業手法を学び、26歳で会社設立。


演劇手法、人間研究や洞察を新たに取り込んだ


営業育成、経営戦略を実践し、実践的な営業方程式を確立。


会社を効率的に運営する発想を実践している。








経営コンサルタントは自分で会社を起こすことが重要であると開眼。


理論ではなく実績ベースの経営コンサルタントとして活動中。


仕事を遊びにしてしまうことで人生を楽しんでいる。






経営コンサルタント会社の後継者は歴史上、成功したことがない。


父親でもある矢部廣重氏より事業継承を5年以内に受ける予定のため、


父親の経営コンサルタント理論を実践で活かすことを目的として、実際の経営を実践している。






父親のセミナー内容は時間効率、


狙ったお客を80%落とせることをモチーフに、4000名を越える経営者への指導実績がある。








[著者のコンサルタント経歴詳細]

株式会社クオリティマネジメントにて10年間勤務し


矢部廣重氏のセミナーノウハウをシステムIT化している。






企業に訪問しての一社IT研修は数十社におよび、


ITという分野でありながらも営業洞察や顧客思考の人間学が基礎となり、


ホームページ運営や確実にアクセスなどをあげることができる。


実際に目に見える売上をあげることで定評がある。




「社長のためのIT革命セミナー 10ヶ月」は


100万円という受講料にも関わらず100名以上の指導実績がある。






そして、自分自身でも経営している会社が


2社あり理論中心ではなく実際に経営を体験した体験からの


指導が各分野の経営者に共感をよんでいる。








現:株式会社クオリティマネジメント 取締役 




http://www.qmw.co.jp
  (経営コンサルタント)






現:株式会社ワーサル 代表取締役




http://www.worsal.com/
(芸能タレント・一般人材派遣) 




http://www.uden..jp






現:株式会社から騒ぎ場 (飲食店事業  3店舗の経営)




http://www.win603.com/
  博多餃子舎603




http://www.carasa.jp/
   ビールバー 「から騒ぎ場」 2店舗








バク転だぁ!


バク転命!

http://www.worsal.com

携帯セミナーを開催します!

ひさしぶりなのですが・・
システム系のセミナーを行います。

http://www.qmw.co.jp/qm/index.html

通販携帯ビジネスの到来ですね。
遊びに来てください。

不況を乗り切るコンサルします。
業績保証します。