Phenomenal Woman

BY MAYA ANGELOU

 

美しい女たちは私の秘密がどこにあるのだろうと思う

だって私は可愛いわけではないしファッションモデルのようなサイズでもないし

それでも私が語り始めると彼女たちは私が嘘をついているのではないかと思う

 

だから私は言う

それは私のすぐ手に届くところにあるし

私のまあるいヒップにも

私の歩く歩幅にも

そして私の唇のカーブにもある

だって私は女

それも並外れた女

そう、私は並外れた女なの

それが私

 

私が部屋に入ると

それはもうあなたが目を見張るようなクールさ

そして男性たちは

立ち上がって私を見るか

ひざまずいてしまうか

それから私の周りに群がり

それはもうミツバチの巣のよう

 

だから私は言う

それは私の瞳の中の炎にもあるし

私の歯の輝きや

波打つウエストの辺りや

そして私の足にあるワクワクする喜びにもある

そう私は女

しかも並外れた女なの

そう私は並外れた女

それが私

 

 

男たちだって不思議がる

私の中にあるもの

だからそれを知ろうとする

だけど誰もそれには触れられないの

私の中のミステリー

そしてそれを見せようとすると

彼らはそれでも見えないと言うの

 

だから私は言う

それは私の背中のカーブにもあるし

太陽のような笑顔にも

そして盛り上がったバストの上にも

女神のようなスタイルにも

そうなの私は女

しかも並外れた女なの

私は並外れた女

それが私よ

 

今やっと分かったでしょう

なんで私がうつむいていないか

しかも叫んだりジャンプしたりもしないの

大声で主張する事も必要ないの

私があなたのそばを通り過ぎる時

私の秘密はあなたを誇り高い気持ちにさせる

 

だから私は言う

秘密は私のヒールの足音にもあるし

私の髪の毛のうねりにも

そして私の手のひらにも

そして私の真心にも

だって私は女

しかも並外れた女なの

並外れた女

そう、それが私

 

 

 

上の詩は有名なマヤ・アンジェローのものでphenomenal woman /フェノミナルウーマンです。多分70年代に書かれたものだと思います。

 

和訳では並外れた女としました。他に日本語が浮かばなかったのです。日本語では多分他の人と違う事が良い意味ではないのであまり語彙がないのではないかと思います。

 

英語では素晴らしい、他に例を見ない、ハッとするようなとかあとはセンセーショナルなとかそう言った意味になります。

 

これに音楽をつけた人がいたそうで歌がありましたので聞きたい方はこちらからどうぞ。

 

 

 

 

 

私は修士号を取得していた時に初めてこの詩を知りそれ以来大好きです。修士号の多分2004年ごろだと思います。私の専攻はクリニカルソーシャルワークと言って心理学やセラピストとしてのパフォーマンスを深く学ぶものでした。

 

そんな専攻でしたからクラスで自分の感情や個人的な経験などを話す事もありました。

 

知っているかどうか分かりませんがアメリカの社会福祉の修士号と言うのはとても厳しく自主退学の確率も高いのが事実です。

 

授業が厳しいだけでなく卒業単位が他の修士号に比べて多いのです。他の修士号が36だとすると社会福祉は60とかです。

 

なぜならそれは社会福祉科にはフィールドワークというものがあります。それは授業の他に実際の社会福祉のエージェンシーで実際に週に何日か働くと言うものです。

 

私の専攻はセラピーでしたので実際のエージェンシーでセラピストとして2年間働く機会がありました。もちろん大変な量の本を読み、そして宿題をこなし、その上でフィールドワークで働くと言う休みのない生活でした。

 

 

そんな厳しい状況でしたので生徒たちは軽いうつにおちいっていてクラスで個人的な話をする事があると泣いてしまったりする事も少なくありませんでした。それだけ個人的にも学校でも難しいところを通過しているのが通常なのでした。

 

それだけでなく社会福祉科の学生というのは自分の家族に精神病の人を抱えていたり病気の人を抱えていたりもともと個人的にも複雑な環境を持つ人が少なくありません。

 

社会福祉に興味を持ったのはそう言った個人的背景に関係があると言う感じです。もともと人を助けたりする事に興味があるのですよね。

 

もちろん家庭環境だけではなく誰でも何かしらの問題を抱えているのが普通という事ももちろん事実ですが。

 

 

とにかくそんな状況下での修士課程である日自分の好きな歌や詩を紹介しそれによってどんな風に感じるかを発表するというクラスがありました。

 

そのクラスである生徒がこの詩を取り上げたのです。もちろんこんな状態では涙なしではクラスは進みません。私も涙をこらえた次第です。

 

誰もがギリギリの状態に置かれていてこの詩を発表者がとても感情を込めて読んだのですからそれは泣きますよね。

 

誰もが精神的にも肉体的にも死ぬほど疲れている状態でこの詩を感情を込めて聞かされるのですから。

 

 

この詩は自己尊厳や自信についてであることは間違いありません。そして自信とは私の患者さんたちの中でもいつでも持ち上がるトピックなのです。

 

そしてこの詩は自己尊厳や自信について本当によく表現していると思うのです。

 

 

自己尊厳とは標準でないこと、誰か、そして社会に受け入れてもらう事をしない事です。

 

私たちは時々他の人と違っている事や一群の中で目立ってしまう事を嫌います。一生をかけて標準であろうとする人生と言っても過言でないかも知れません。

 

どうやって?もちろん標準になるものさしを使うのです。それはどんな仕事を何歳でやっているとか? どんな恋愛や結婚を何歳でしているかとか? 何歳でどんな風な風貌だとか? その他にもたくさんあります。

 

私たちはいろいろな角度や方法で社会から他人から認められようとします。標準でない状況や考え方は歓迎されていません。他の人がやっている事をやり他の人たちに自分は仕事や教育や結婚や見てくれで成功している事を認めてもらおうとします。

 

 

なんのために? どうして他の人を自分は成功していると説得したり認めてもらおうと思うのでしょう。それはずばり私たちが自分自身で成功しているかどうか決められないからです。

 

自分が成功しているかどうか、自分がどんな人間かさえも私たちは他人に確認してもらう必要があると言えましょう。

 

成功しているかどうかだけでなく幸せかどうかもです。だからいつも他人と比べて納得したり社会のどの辺に自分が位置するのか知ろうとします。

 

 

もちろんこの詩ではマヤの秘密は自信です。それは彼女が平均的な女性ではなくそのサイズや形もいとわない姿勢が物語っています。

 

私には彼女が平均や標準とは全く違う女性であっても心底自分自身に対してとても快適に感じている事を心底感じます。

 

そうです。そして彼女はもちろん自分が平均的な女性でない事を十分承知していますしその事に対しての過去の葛藤も簡単に想像できます。

 

でも今はもう社会に認めてもらおうとも思わないのです。その事を乗り越えたからこの詩を書いたのですから。

 

そうです。実は自信とは本当に誤解されているコンセプトです。そして自信とはどれだけ自分自身が自分自身に対して快適であるかです。そしてそれはこの詩で彼女がとうとうと語っている事なのです。

 

彼女はすでに誰にも許しを得たり承認を得ようとしません。彼女は彼女自身でいる事に決めてそして他の誰にも仲間に入れてもらおうとも思わないのです。

 

そしてそれが彼女の秘密であり自信の証なのです。そしてそれを皆に伝えようとしているのです。もちろんそれに賛成してくれるかどうかなど問題ではありません。

 

彼女の秘密は、もちろん彼女の自信、そして彼女と同じように感じることはいつでも好きな時に可能なのです。そうです。私たちは社会にフィットするように自分を変えなくてもいつでも自信にあふれている事が可能なのですから。

 

彼女はそれを成し遂げました。なぜなら彼女は社会に適応しない、並外れた女性なのですから。それが彼女です。

 

そして彼女は誰でも彼女の感じるように感じる事が出来ると言っているのです。自信に溢れるには自分を自信の持てるような人間に変えることではありません。自分を大好きであり素晴らしいと信じる事なのです。

 

自信とは完璧であることではもちろんありません。自信とは社会の標準に合わせたり人と同じようにふるまう事ではありません。自信とは私たち自身を私たち自身のままで受け入れる事なのです。

 

だから今日、この瞬間に自信に溢れる自分になることは十分可能なのです。

 

素晴らしい1日を!!