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皆さんはこのパンデミックのおりに十分に運動していますか。私にはこのパンデミックは本当に運動をやめる良い言い訳だったのです。結局、運動するタイプではないのですよね、私は。

 

ヒプノシス(催眠療法)に出会ってから私の人生は大きく変わりました。まずダンスとヨガを中心に運動を始めたのですね。結果的に20キロくらいは痩せたのです。そして最後に主婦だったのにニューヨークでビジネスオーナーになったのです。

 

 

自分が覚えている限り、太めの子供だったのです。そしてアメリカのサイズで16、多分体重は80キロくらいの時もありましたね。

 

多分、一気にする減量はそんなに難しくないと思います。誰でもあの時は痩せていたと言う時期があると思います。でもその状態を維持するのはまた別ものなのですよね。それは誰でも知っていると思います。

 

 

多分、20年以上、運動していなかったのですね。それが突如としてジムに行き始めて、それも毎日です。

 

その時は実は夫の転勤でシンガポールに住んでいたのです。それと妹の子供達を養子にしてアメリカのビザを取るという目的もあったのです。

 

外国に住んでいたので働く事も困難だったし自分の子供たちは1歳だったし養子の子供たちはいるしで主婦でいる事が当然のような状況でした。

 

 

20年の運動のブランクから運動し始めたら体重が減ってきました。もちろんその過程にはヒプノシス(催眠療法)が本当に効いたと言うのがあったのですが。

 

ヒプノシスのおかげで自分の価値、大切さを理解するようになったのです。そんな感覚は20年間持っていなかったように思います。自分を大切に感じるからきちんと自己管理をすると言う事なのですね。 

 

 

ヒプノシスでは負の感情やエネルギーを自分の中から消去して、それが減量にとても効果があったと思います。

 

この負の感情やエネルギーが過食したり自分に対する悪い行動や癖を誘発しているのですから。

 

 

言ったようにこの体重の変化はもちろん私の外側だけの変化ではありません。もちろん私の内側が変わったから私の外側も変わったという方が正しいですね。

 

 

私の歴史的な変化は私の一番人生で大変な時期に起こったと言うのは本当に面白いと思います。普通はこのようにストレスが多い状態にいると人生は悪い方向に変わるのが普通だと思いませんか。

 

 

いつも食べる事が大好きだと思っていたし食べすぎても大して気にしないでずっと20年間運動もしないでいました。その結果、体重が最高値に達したのは30代で離婚を経験した時です。

 

しかもこの時はまだ日本に住んでいて離婚のストレスは大変なものでした。パニック発作のようなものを起こしたのもこの頃です。

 

その時はこれよりずっと後に妹が死んでその子供達を養子にして自身の子供たちもいる状況を想像も出来なかったのですがそれでも私の人生の中でとてもチャレンジな時期だったのは確かです。

 

 

 

その渦中で自分を安定させる方向を探していたのですがあまり選択はなかったですね。これはヒプノシスに出会うよりもずっと前の事ですから。

 

誰もこのストレスをどうしたら良いか教えてくれる人はいず、よく眠れる薬やパニック発作の薬をもらえるのがせいぜいでした。

 

身体にはいつも疲れた感じや痛みがありこの時は日本にいましたのでいつも鍼やカイロに通っていました。 鍼は今でも効果を信じています。

 

ずっと後になってこの痛みも疲労感も精神的な事に大きく関係していた事を知りますがこの時は知るよしもありませんでした。

 

 

 

そんな調子でいつも幸せや満足感、自分の人生や自分自身に対しての素晴らしい感覚を探していたのです。

 

それを達成するために社会的地位、お金、そしてついには子供を求める事になるのです。幸運な事に私に素晴らしいキャリアがない時に私の夫は素晴らしいキャリアを築き上げていたのです。

 

その結果、お金持ちになり、シンガポールに住んでいた時にはペントハウスに住んで2人の吸い込みのメイドがいました。

 

シンガポールに行く前にもニューヨークでも人生のベストな時期を迎えて理想とするようなライフスタイルが営めたのです。

しかしながら私は幸せではありませんでした。もちろん最悪の時期よりは良かったのは確かですがそれまでに探していたような感覚、それは実は真の「幸せ」ですが、それはありませんでした。

 

多分、周りの人たちは私がとても幸せなはずだ、と思っていたと思います。

 

 

そんな状況の中で私が何をしたかと言うと、その時にまだ私が持っていなかったものを求めて得る事にしたのです。そしてそれは子供でした。

 

それこそ、もうこれしかない。これしか幸せになる道はないと思って子供が出来ればきっと私は幸せになれると思ったものです。

 

そして単に子供というだけでなく、素晴らしい双子、それも男の子と女の子の双子を授かる事になりました。それはそれは願ったり叶ったりだったのです。

 

前に書きましたが私は8歳の時に外国人と結婚して男女の双子を産むと作文に書いたのですね。そしてそれはまさに実現したのです。

 

 

しかしながら私は私が生涯願ったような感覚にはなりませんでした。

 

 

もちろん、ここではっきりとさせておきたいのですが、これは私自身の惨めさや不幸であり私の夫や子供たちには何の関係もない事だったのです。

 

しかしながらその時には全く理解できませんでした。なぜ全て自分の欲しいものを手に入れたのに幸せになれないのか。

 

この時にどれだけ失望したかそして途方に暮れたかは本当に言い表せません。だってそれが幸せになる方法だと思って一生をかけて実現させたのですから。

 

そしてそれを本に書く機会に恵まれたので書いてあります。この時の私の苦しみとヒプノシスがどうやって私を変えたかですね。

 

本を買いたい方は日本語で日本のアマゾン、英語版はアメリカのアマゾンにあります。

 

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人生とは不思議です。こんな途方に暮れた時にタイムリーにヒプノシスに出会うのですから。だから断言できます。人生には偶然などと言うものはないのですね。

 

全て仕組まれたプログラムなのです。そして今度はあなたが人生を変える番かも知れませんね。是非この波に乗ってください。

 

 

素晴らしい1日を!