新型コロナウィルス、殺伐感?を増してきた日本社会に感じること~私の「想い」原点から~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

<<ブログ 304>>

    新型コロナウィルス感染症対応で殺伐感?を増している

     日本社会に感じることを「私の想い創造原点」から

           1989年5月

        悩み悩み続けていた

     「自分への自分からの手紙」

   長い長い期間、毎日毎日「頭」で「賢く難しく」考え続け

   悩み続けてきた入村さん、貴方へ私からの手紙です。

   読んで感じてください。  1989年5月 FROM入道

         ⇩

  「頭」で難しく賢く考える、のではなく

   「心」で易しく優しく感じるように

   動きを変えてみたらどうですか。

         ~私の想い~      by  入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          今回も私とちょっとだけ歳の離れた友達

     浦和そして秋葉原を基地として世界への羽ばたきをされている

    画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

            田中拓馬さん、ありがとうございます。

     田中拓馬さんのウェブサイトを訪ねていただければと思います。

  http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

入村道夫さんへ 1989年5月 From入道(入村道夫)

 

             「ヒト」という生き物は

       ひとりでは絶対に生きていくことのできない

       とってもとっても弱い弱い生き物なんです

  「ヒト」は単体、自分一人ではなく「みんなと一緒に」いることで

       ようやくと「生きていくことができる」生き物

           そして「ヒト」はこのことを

  「本能」として知っている、持っている弱い生き物なのです

                 だから

      「ヒト」って生き物は「群れ」「集団」を形成して

              生きていくのです

 

          「ヒト」という弱い弱い生き物が

      「生きて行くために」形成する「群れ」「集団」

              それが「社会

              そう思うのです

 

                そして

  「社会」、「みんなと一緒にいることで」「安心して生きていく」

   「社会」という「群れ」の中で「安心して生きていく」ことを

       「活き活きと生きる」の意味を込めて

   「生活」という、きっとそうなのだろうと思うのです

               だから・・・

    「社会」での「生活」の「あたりまえ」は難しくなんてない

  「ひとり一人ができることを出し合って」「助け助けられ」で

       「活き活きと生きていく」ことなのです

                

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

       原野で単体(一人)でなく「社会」という

 「ヒト」が形成した「群れ」「集団」の中で「生活」している「ヒト

 その「ヒト」たちのことをにんげん(人間)」というんです きっと

               だから

       「私・自分」という「にんげん(人間)」は

   「ヒト」と「ヒト」との「間」で生きている存在なのです

                           「助け合って」

          時に「助けて」時に「助けられて」生きていく

 

         「仲間意識」・・・・別の言葉だと信頼」でしょうか

          「信頼」でつながっている  

          「信頼」で結ばれている

     こんな風に言い換えてもいいかなと想うのです 

                 でも

              いつの間にか

   「人間は強くなければいけない」とかの想いが強くなり

     「賢さ」とか「腕力」とか「お金」を目盛りにして

         「人間をランク付け」してしまう

   そんないやな嫌なたくさんの「ものさし」ができてきている

 

     でも このものさしは誰でもない「私たち人間」が

          創ってしまったものなのです

                そして

      「自分たちが勝手に創ったそのものさし」に

        今、「自分たちが縛られている」んです

             何なのでしょうか

             おかしいですよね

 

    ひとり一人の「できることを見つけ出してあげる

            そんな動きではなく

    「できないこと」を敢えて、無理やり探し出して

    「ほら、あなたはこんなことができていないよ」

       「あの人できるのにあなたはできない」

        そんな言葉で強く指摘するような

        とっても「変な」とっても「悲しい」

      とっても「嫌な」「社会になってきています

           そう感じてしまうのです

 

     「できないこと」の「ランク付け」なんて不要です

       「できないこと」を見つけあうのではなく

          「私はこんなことができます」

   「私はこんなところで他の人たちのサポートができます」

   「あなたはこんなことができるじゃないですか、すごい」

         こんなやりとりを重ねていくことで

   ひとり一人の「できること一覧」に変えていきたいですね

                 そして

  ひとり一人が「自分のできること」を「一つずつ増やしていく」

         こんな状況になっていけばいい

            時間がかかってもいい

        「社会に居るひとり一人、みんな」が

          こんな想いになっていけば

         とっても「素敵な社会」になる

         とっても「優しい社会」になる

 

     そうしていくことが「教育」であり「育成」ということ

               そう想います

 

             「大人でも子供」でも

      「普通の人でも」「障がいをもっている人」も

        「生まれたばかりの赤ちゃん」も・・・・

   「みんなみんな誰だって」「できること」を持っているのです

 

      「その人の「できないこと」」を他の人たちが

        「ひとり一人自分の「できること」」で

      「そっと」「普通に」「優しく」「あたりまえに」

     「助け合って」みんなで「活き活きと生きていく」

        これが「生活」ということなんだから

 

           「社会」も「組織」のひとつ

           一番大きな「組織」です

 

     「組織」とは「二人以上のヒトの集まり」のこと

            私の独自の定義です

   だから「会社組織」でも「助け合う」は全く同じなんです

               なぜって

    「会社」も「たくさんの人たちの集まり」なのですから

 

   どうして「会社」はたくさんの人たちを集めるのでしょうか

                 どうして

           難しく賢く考えないでください

 この「問」に対する「答え」は「すごくごく簡単なこと」なのですから

 

       「(経営者)自分一人ではできないこと」も

         たくさんのいろんないろんな人たち

  ひとり一人異なる特徴(=個性、できること)をもった人たちが

          自分をサポート、助けてくれれば

            「できること」に変えていける

 

       「得意なことが異なるたくさんの人たちが

          自分をサポート助けてくれれば」

   単純「対応力の強い会社・組織」になっていくことができる

                 だから

   「自分と助けあって、自分と一緒にやってくれる『仲間』」を

        増やしていく、のです  そう想います

        

                  挿絵は田中拓馬画伯 画

 

                  仮に・・・

     「同じような特徴(=個性、できること)」を持った

      「同じような人間しか採用しない、集めない

          また採用してからの「教育」で

     「同じような企業人」を育てるために教育したら

   (今もほとんどの会社でやっている教育のほとんど

   会社組織に「ことある時(マズイ状況、ヤバイ状況)には

      極論「たった一つの同じ対応しかできない」

               こうなりますよ

 

     「100人」いても「1通りの対応」なのです

 

                  でも

    「100人ひとり一人のできることが異なっている」

       「ひとり一人の得意分野が違ってれば」

   その対応力は「100通り」の可能性をもつことになります

 

                 だから

            「会社の採用活動」は

      「この人は「どんなことができる」人なのか」

      「どんなことに可能性をもっている人なのか」

    「どんな分野でどんな時に助けてもらえそうか」を

             「感じ取ること

       私はずっとそう想いやってきています

 

       「採ってやる」こんな採用の考え方は

         絶対にダメてす あり得ません

 

   自分たちの会社の「明日」創造を「助けてもらう」ために

        「新たに「仲間に加わってもらう」

       「そのために人を選ばせていただく」

         これが私の「採用スタンス」です

 

              組織では・・・・

     「できないことを探しだす」なんて動きはしないで

  「(これからの可能性を含めて)できること・できそうなこと」を

   「本人」と一緒になって見つける動きを重ねていきませんか

 

         産まれたばかりの「赤ちゃん」には

           「赤ちゃん」にしかできない

        「赤ちゃん」だから「できること」があります

 

        「人の心を和らげる」「人の心を優しくする」

           「人の心を柔らかく穏やかにする」

             あの微笑み返し?がなくとも

       そこにいてくれるだけで心に感じさせてくれる

             赤ちゃんにしかできません

 

          「障がい」をもっておられる人にも

    「みんなひとり一人できること」を絶対に持っています

 

       障がいを持っているから「~ができない」を

        普通の人たちは探しだそうとしています

        そして この想いだけで動こうとします

               だめ、なんです

    でも残念なことに「バリアフリー」の考え方の入り口は

         その想い・考え方からの動きです

                 だったら

      その人の「できること」を見つけ出してあげて

           一緒になって「できること」を

          どんなに時間がかかったっていい

      「一つずつひとつずつ一緒になって増やしていく」

       この動きを「主」としていければいいのでは

 

     「賢く」「学問的」に「頭」で考えるのはやめませんか

  「賢く」「学問的に「頭」で考えるのはやめた方がいいですよ

                なぜなら

  「社会」そして「ビジネス」「事業」というものは

      決して「学問」「賢さ」から

     誕生してきているのではない

                のですから

 

       「ヒトはひとりでは

   生きていくことができない」

     この「あたりまえ」のことから産まれてきているのです

 

      「悩み」にぶち当たったら  難しい局面になったら

           「賢く難しく考えこまない」で

      「人間の「あたりまえ」」を「全ての前提」として

           「優しく」そして「易しく」

           「頭」で「考えるのではなく

             「心」で「感じとる」

         このことを大切にしていってください

 

    生きていくとき・仕事をしていくとき・経営していくとき

            「全く変わらないものさし」

      「絶対に変えてはいけないものさし」があります

                 それは

    「人間として(どうなのか)」

  「人間としての「あたりまえ」」です

                  そして

      この「ものさし」を使うのは「頭」ではなく「心」

        このことを絶対に忘れないでください

 

 「頭」で賢く難しく考えるのではなく

   「心」で優しく易しく感じる

             実践し続けてください

 

悩み悩んでいる入村道夫さんへ

                    1989年5月置筆  入村道夫より

 

           今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                   ありがとうございます。

 

        新型コロナウィルス対応下でまたまた出てきてしまっている

         日本人の自己本位性?自分だけ良ければの寂しい想い

         マスクの買い占め、信じられない値段をつけての再販売

          そして全く無関係なのに「うそ情報」「煽り情報」での

         トイレットペーパー、ティッシュが店頭から消え去った

         (他人を蹴散らして自分が買う、自分のものとする)

                       ・・・・・・

             そんな動きに殺伐感を覚えた時に

   31年前、R事件真っただ中で自分が悩み悩んでいた時に行き着いた

   私の「想い」の源、原点となる「想い」をなんとなく思い出していました

 

                「助け合いたい」ですね

         だってそれが「人間の原点」なのですから・・

 

  ありがとうございます。 にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)