流されてみよう、中南米とわたし。 -8ページ目
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大切な一年間。

留学中は、Host Family にお世話になって、普通の高校に通っていました。

初めて、外国に住みました。  
初めて、スペイン語を話しました。   
初めて、外国人のお友達ができました。  
初めて、外国人の家族ができました。  
初めて、3700メートル以上の上で息をしました。  
初めて、死ぬほど飲みました。

初めて、貧富の差について本気で考えました。  
初めて、一人は無力だと感じました。

初めて、出会いに感謝しました。  
初めて、こんなに人に感謝しました。
初めて、他人も大切にしようと思いました。  
初めて、人の存在に感謝して、死の怖さを知りました。

初めて、人が本当に愛おしいと思いました。

初めて、両親、家族に心から感謝し、愛しました。


こうして、初めてだらけの経験をさせてくれた、ボリビアは私の第二の故郷になりました。


留学を一年終えて、日本に到着し、両親と1年ぶりの再会。
町がすごく明るくて、まっ平らの道路を走る車の中で、この車は宙に浮いているんじゃないかと、ここは近未来か、と思いました。いつかアニメで見たような…

まず、実家につくと、すぐ駅前の本屋にファッション雑誌を買いに行きました。

高校に戻ると、初めて見る先生が教壇に立ち、違う高校の子は教室から出なさい、と間違われました。
みんな大学受験中で、ふわふわしている自分に居場所のなさを感じて、学校が嫌いになりました。

ボリビアで切ってもらった自分の髪の毛がぱっつんぱっつんで、すぐ美容院に行きました。

バイトに戻ると、出産を終えて帰ってきたとちゃかされ、1年半続けたバイトは振り出しに戻りました。

このまま時間が流れるままに学校を卒業して、自分はこのままどうなってしまうのか…。
とにかくすごい不安と、母国にカルチャーショックになっている自分がショックでした…

前に進もうと、いろいろやってみるものの、いつも評価されない、私の大切な一年間の経験。
私を大きく変えてくれた、この経験は、日本の社会にとってはどうでもいいことかもしれない。


そうやって、何年かもがいているうちに、私はあるお店に出会いました。
そのお店にあるリュックに付いてるタグを見ると。。。。『made in ボリビア』。

やっぱり。

その日、私はそのお店の本社に電話して、面接のお願をしたのでした。

「そうだ!!留学したかったんだ。」

高校2年生の春。私は毎日どうしたらいいのか、分からず過ごしていました。

それなりに頑張って、行きたかった高校に入ったはいいものの、高2で帰宅部を選んだ私は、毎日何のために学校に行っているのか分からない。。。。っと感じていました。

今思ったら贅沢な事ですが、何らかの刺激が欲しかったんだと思います。

先生にAFS(留学をお手伝いしてくれる協会)の本を借りた時、これだ!!と思い出しました。

思い出したというのも、この高校を選んだ理由。

1年留学しても、その間の成績証明書があれば、帰ってきたあと上の学年に上がれる。もとのクラスメイトのところに戻れる。

つまり留年しないで、留学の1年を尊重してくれる学校だったのです。

そうだった、そうだった。 だからこの学校が良かったんだ。


留学を決めたら、次は、国選び。

その頃の私の成績は中の中。。。
ど~しても留学したかった私は、出来れば英語圏で.....と思ってはいましたが、倍率の高そうな英語圏、特にアメリカは1番初めに諦めます。

「この際、なかなか旅行に行けない国にしよう!」

なかなか旅行に行けない国。= 聞いたことのない国。

パンフレットをペラペラめくりながら、とりあえず聞いたことのない国を書き出す。。。


ホンジュラス
ボリビア
コスタ・リカ

(なぜか全て中南米.....この時は無意識です。)


このとってもいい加減な選出が、のちに私の人生を大きく変えました。

もしかしたら、偶然じゃなくて、何か無意識なりに呼ばれていたのかもしれません。


PAYURIの流されてみよう、中南米の旅。-ボリビアの空港で。

留学生活1年を終えて、ボリビアから帰る私と、Host Family の兄妹。
みんなのサイン入りのボリビアの国旗を、右手にしっかり握って帰りました。

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