ピアノの詩人 ① | ピアノデュオ☆Spica☆のブログ

ピアノの詩人 ①

こんにちは!5月になりましたね

今回は「ピアノの詩人」の代名詞を持つ

フレデリック・フランソワ・ショパン(1810-1849)

について、少し書いてみたいと思います


18世紀末の
3度のポーランド領分割事件により、
後の第一次世界大戦まで独立国としての名を失ったポーランドに

ショパンは生まれました。

幼いころから、
絵画や文学などの多方面への豊かな才能に恵まれたショパンは、
7歳頃から正式にピアノ教師に師事してピアノを習い始めます。

最初の先生は
ボヘミア生まれの音楽家、アダルベルト・ジーヴニーという人物で、

ショパンの個性を伸ばす方向で教育をあたえ、
あまり規則ずくめな教え方をする先生ではなかったようです。
そうした教育は、後に独自の道を歩むショパンの礎になりました。

ショパンは、音楽の才能をその音色から鮮やかに発揮する少年だったと言われています。




20歳になった彼は
高等音楽学校を卒業すると、
更なる飛躍を求めてウィーンへ旅立ちますが、
その1ヶ月後に祖国ポーランドのワルシャワはロシアの占領下となり、

ショパンは二度と祖国の地を踏むことはありませんでした。

この時代の社会が求める音楽家の役割は、
雇い主や貴族への仕事としての音楽ではなく、
一般大衆に楽しみをあたえることへと変わっていきました。

その時代の流れにのったリスト(1811-1886)とは反対に
{唯美主義者}の限られた仲間の内で
真の芸術の価値を見出そうとしたのがショパンでした。


彼が切り開いた音楽への新しい試みや
未知の領域の和声への踏み込み

それは、他人からの評価や
後世に残る音楽的革命を目指したからではなく

純粋に自らを表現するために
考え、持った知的好奇心であったように感じます。





ショパンは作曲した作品のすべてにピアノを用いました


声楽やオペラの愛好家であったショパンは
声による音楽こそ最高の芸術!と考えており

唱法をピアノ書法に置き換えて、
独特の長いメロディを生み出しました。

ピアノを拠とした彼の
ピアノへの情熱や好奇心を物語っているようですね。


また、ショパンはフランス人とポーランド人のハーフでしたが、
彼は自分のことをポーランド人と思い続けてポーランドの曲を数多く書き、やがてそれらはヨーロッパで広く受け入れられていきました。


気が付いたらとても長い文章になってしまったので、

最後に、
ショパンが弟子によく語っていた言葉をのせて
またいつかの機会にショパンについて書いてみたいと思います

一番大切なのは、
今、演奏している自分の音楽を聴くことです

自分を信じて演奏しなさい

聴かれていることを忘れずに

自分がこういう音楽にしたいという理想に従い

あなたの心で聴かなければなりません

あなたが伝えること、それがいいのです


ショパンのことがもっと好きになってしまいました



have a nice day.

kumiko