病人連鎖 告別
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・病人連鎖
・病人連鎖 その後
の続きです。メール更新のため、リンク貼れずにすみません。
母の核医学検査RIの結果、やはり診断に間違いなしと脳の薬を処方され
「1ヶ月様子を見て薬を調節していきましょう」
と言う事になった。
担当医師はまぁ言葉も優しくゆっくり聞こえやすい声で話す方で
(老人相手が多いからだろうが)
感じも悪くないが…
それはまた後程、さておき
その日は母の検査結果を聞き薬をもらう為、病院へ行く事と
あろう事か兄嫁の父親の葬儀がぶつかり
非常に慌ただしく、母の行方を気に病む暇もなく喪服に着替え
母にも支度を促しながら
精神的にも肉体的にも、疲労感に押し潰されそうな…
なんともぐったりの1日だった。
義姉の父親は、がんの転移した場所が思わしくなく
転移その後余命1ヶ月と言う医師の宣告通り、病発見からたった半年の闘病生活だった。
故人の意向による“家族葬”であった為、私には未経験の様式ではてさてどこまで親戚に連絡をしたものやら、と頭を痛めた。
逆に「じゃあどの辺まで礼を尽くせば?」と連絡した親戚に問われ
んなもんこっちが聞きたいわと吐き捨てたい思いをオブラートに包みこみ、ぐっと飲み込んだ。
故人長女婿の兄にしても同様で、しかし施主ではなくても何だか気忙しくあちこち走り回り
結局こっちサイドは全て私が取り図ることになる。
如何せん、家族葬はまだまだここら辺ではポピュラーではない。
しかしこうした機会は増えていくのだろうと思う。
兄嫁の両親とでさえ顔を会わせたのは数えるほど。その親戚等に会うのは実に兄達の結婚式以来である。
互いに赤の他人同士の間において、普通に親戚として存在しなければならない。
無理以外、苦痛以外の何物でもなかったが、ほぼ兄の顔を立てるための参加だった。。
その兄に到っては
「知らない顔が多いし、話す事もないし嫌なんだよなぁ」
と陰でこそっと私に洩らす。
はい、甘んじて受けなさいね。
とは冷たく突き放しはせず一緒に苦笑いをしてやった。
何はともあれ
こうして
静かに世代は移り変わってゆく。