営業カウンセラー 福永直人 プロフィール
営業カウンセラー 福永直人 プロフィール
大阪で初めて正社員として仕事をしたのが「営業マン」でした。
営業の仕事ってどういうものなのかもわからず上司の「とりあえず行ってきて」の一言でスタート。
訳もわからないまま順調に稼いでいた売上をながめながら「営業ってちょろいやん」と慢心。
しかし、担当先変更で一部上場などの大手が自分の担当先になると自己流の営業方法が通用せず、売上も社内の信用もガタ落ち。
精神的にも一気にスランプに陥る。
気持ちは焦るばかりで「あかんあかん、ヤバイヤバイ」と営業本を読みまくるが、状況は一向に変わらず。
頼みの綱の先輩に相談するが「担当先の規模が違うから・・・」とか「なんとかなるっしょ」と的を射たアドバイスも受けられず、さらに精神的に追い込まれる。
この頃、離婚も経験し当時小学2年生の娘とも別れ、仕事もプライベートも落ちるとこまで落ちる。
仕事帰りにフラフラと相変わらず営業本を探しに立ち寄る本屋で、とある自己啓発本と出会い、読み進めるうちに目からウロコが100枚ぐらいパラパラと剥がれ落ちる。
そこから今まで持っていた、人生や仕事に対する考え方や「営業」本来の意味に気付き、行動も変化し状況は徐々に好転。
難しい得意先相手の売上も回復し、当時では最年少で営業主任に昇進。競合他社の朝礼でも紹介される程、業界では一目おかれる存在に心身共に成長。
結果、「営業本」ではなく「心理学的な自己啓発本」によって救われる。
以降転職した2社では「内面を変化させることで営業マンは自立し成績も伸びる」の持論で営業社員育成に取り組み、
「11ヶ月で年間売上を達成する営業マン」や「年俸アップ率トップの部下」を生む。
その後、44歳で独立し多種多様な営業を請け負う「営業代行マン」として起業。個人事業主から、中小企業の新規開拓営業を請け負う。
その1年後、マンツーマン中心の大阪営業塾を開塾。
最後になりましたが、「営業カウンセラー福永直人」のミッションは、「営業の事で悩んでいる営業マンに一人でも多く楽になってもらう」事です。
今後共、よろしくお願い致します。
大阪で初めて正社員として仕事をしたのが「営業マン」でした。
営業の仕事ってどういうものなのかもわからず上司の「とりあえず行ってきて」の一言でスタート。
訳もわからないまま順調に稼いでいた売上をながめながら「営業ってちょろいやん」と慢心。
しかし、担当先変更で一部上場などの大手が自分の担当先になると自己流の営業方法が通用せず、売上も社内の信用もガタ落ち。
精神的にも一気にスランプに陥る。
気持ちは焦るばかりで「あかんあかん、ヤバイヤバイ」と営業本を読みまくるが、状況は一向に変わらず。
頼みの綱の先輩に相談するが「担当先の規模が違うから・・・」とか「なんとかなるっしょ」と的を射たアドバイスも受けられず、さらに精神的に追い込まれる。
この頃、離婚も経験し当時小学2年生の娘とも別れ、仕事もプライベートも落ちるとこまで落ちる。
仕事帰りにフラフラと相変わらず営業本を探しに立ち寄る本屋で、とある自己啓発本と出会い、読み進めるうちに目からウロコが100枚ぐらいパラパラと剥がれ落ちる。
そこから今まで持っていた、人生や仕事に対する考え方や「営業」本来の意味に気付き、行動も変化し状況は徐々に好転。
難しい得意先相手の売上も回復し、当時では最年少で営業主任に昇進。競合他社の朝礼でも紹介される程、業界では一目おかれる存在に心身共に成長。
結果、「営業本」ではなく「心理学的な自己啓発本」によって救われる。
以降転職した2社では「内面を変化させることで営業マンは自立し成績も伸びる」の持論で営業社員育成に取り組み、
「11ヶ月で年間売上を達成する営業マン」や「年俸アップ率トップの部下」を生む。
その後、44歳で独立し多種多様な営業を請け負う「営業代行マン」として起業。個人事業主から、中小企業の新規開拓営業を請け負う。
その1年後、マンツーマン中心の大阪営業塾を開塾。
最後になりましたが、「営業カウンセラー福永直人」のミッションは、「営業の事で悩んでいる営業マンに一人でも多く楽になってもらう」事です。
今後共、よろしくお願い致します。