【飯舘村】避難指示解除ありき、不満噴出の住民懇談会~いら立つ菅野村長。報道への恨み節も | 民の声新聞

【飯舘村】避難指示解除ありき、不満噴出の住民懇談会~いら立つ菅野村長。報道への恨み節も

原発事故による全村避難が続く福島県飯舘村は、2017年3月をめどに帰還困難区域以外の避難指示解除を目指している。村民からの意見を聴こうと住民懇談会を避難先ごとに開いてきた。9日夜、伊達市内で開かれた懇談会では、帰村ありきの姿勢に村民の不満が噴出。いら立つ菅野典雄村長が声を荒げる場面もあった。葛藤する村民。安全を強調する国。両者の溝は埋まらない。「村民の忌憚の無いご意見」を踏まえ、国は来月にも、10カ月後の避難指示解除を正式に発表する。



【避難指示解除は「村民のため」】

 思い通りに進まないいら立ちが、とうとう爆発した瞬間だった。

 住民懇談会の終盤、菅野典雄村長は突然、声を荒げて語り始めた。

 「実は、長泥地区を帰還困難区域から居住制限区域に変更するという約束を、国(内閣府)から1年前に取り付けていた。もはや年50mSvを超えていないから。住民とも話をして寸前の所まで行っていたのに、土壇場で誰かの入れ知恵で『帰還困難区域のままにしておいた方が(賠償などで)良い』という事になってしまった。今年、改めて国に『あの約束は今も有効か』と尋ねたが、もう駄目だということだった。あのまま進んでいれば今回、全村一斉に避難指示が解除できた…」

 菅野村長はまた、何度も「村民のため」という主旨の言葉を口にした。「『ただただ村を残したいための避難指示解除じゃないか』という意見もある。でも、いろいろな問題はあるが、少しでも村に戻ってもらえばこそ、私たちは何をすれば良いか見えてくる。村の外にいては復興できない」。まるで釈明会見のような場面もあった。「100点の考え方は無い。ベターな状況をつくるのが村としての判断だ」。

 「皆さんの生活をいくらかでも守っていく」。そう話す一方で被曝のリスクに関しては、こんな本音も漏らした。「残念なのは、放射線に対する考え方が百人百様だということです。幅のある中で、どこかに決めなければならない」、「問題が解決しないと帰れないというのでは…」。そして「年1mSvは、安全と危険の境ではない」。

 住民懇談会には福島県や内閣府、環境省、経済産業省・エネルギー庁、農林水産省・東北農政局の担当者がずらりと顔を並べた。原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長は、冒頭のあいさつで「忌憚のない意見を」と語ったが、2017年3月の避難指示解除は既定路線。参加した村民の1人は「意見聴いたって、村長の腹は決まっているんだべ」と話した。事実、内閣府が用意した資料には、除染の効果で村内の放射線量が低減していること、商業・医療施設が再開するなど、生活環境が改善しつつあること、避難指示解除後も復興支援は続くことなど「前向きな」情報がふんだんに盛り込まれた。今年3月に実施された特例宿泊を利用した村民の「避難指示が解除されたら、すぐ帰ろうと思っている」という「ご意見」まで掲載された。

 まさに「帰還ありき」なのだ。その証拠に菅野村長は何度も繰り返した。「村民の間の補償の格差を少しでもなくしたいんです」。強制帰還ではないと口では言っているが、国にも行政にも「帰村しない」という選択肢は存在しないのが実情なのだ。
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(上)「村に帰らない事には復興は始まらない」

と語った菅野典雄村長

(下)原子力災害現地対策本部などが作った配布

資料には、汚染の低減を強調する「データ」が並んだ


【「被曝者手帳」の交付は拒否】

 村民も、帰還と不安のはざまで揺れている。

 集団ADR「原発被害糾弾飯舘村民救済申立団」の団長を務める長谷川健一さんは、質疑で「狭い仮設住宅での生活が長引き、村民は限界に来ている。来年3月の避難指示解除はしょうがないのかなと思う」とマイクを握った。誰だって住み慣れた土地に帰りたい。帰還困難区域・長泥地区の男性も「我々も村民です。帰りたい気持ちは同じです」と訴えた。

 「土地を汚されて、放置されたままで…。悔しい想いが分かりますか?」

 男性の怒りに、ずらりと座った役人たちも沈黙するばかり。「汚された土地を高く買っていただいて、最終処分場にしたらいいでしょう。そういう末端の声を聴いていないから、帰村の話ばかりするんですよ」。これには、後藤副本部長も「正直申し上げて(長泥地区に関しては)すぐに帰れる状況に無い。その点に関しては、お詫び申し上げる」と答えるしかなかった。

 長谷川さんは言う。「村に帰るにしても、安全性の担保が欲しいんですよ。広島や長崎のような被曝者手帳の交付、将来にわたっての医療費免除、農作物に風評被害が生じた場合の賠償など、国と明確に公文書を交わして、帰りたい人が安心して帰れるようにするよう強く要請したい」。

 4月23日から30日にかけて、長谷川さんはウクライナやベラルーシを訪問。現地の人々との会話を通じて「日本では、放射能に対する考え方があまりにも甘すぎる」と感じたという。「チェルノブイリ原発事故当時の子どもが今、親になっている。その子どもたちに免疫力低下や高血圧などの健康被害が出ているとのことだった」。

 だが、被曝リスクの存在を認めない国が前向きな回答をするはずが無い。内閣府原子力被災者生活支援チームの松井拓郎支援調整官は「そういう話は知っているが、被曝との因果関係について説得力のある根拠が無いというのが国際的な知見」と否定。被曝者手帳の交付についても「たしかに被曝リスクはゼロではないが、100mSv以下の被曝での発ガンリスクは、他のリスクに隠れてしまうほど小さいというのが国際的な合意。広島や長崎と同列に考えるのは難しい。別に考えるべきだ」と〝拒否〟した。

 小宮地区の男性は「早く自分の家に帰りたい。それは当たり前だ。でも、帰ったら黒い袋の間をぬって生活するようになる。あれはいつになったらなくなるのか」と質した。環境省の担当者は「現在、村内には約160万袋のフレコンバッグがある。今後、除染でさらに増えて行く見通しだが、シートで覆うことで風雨や直射日光にさらされないので、3年経っても新品同様の性能を維持する事は確認出来ている」と説明。菅野村長も「ちょっと今、直しをかけているので動いていないが、約4割ある可燃汚染物は蕨平の仮設焼却炉で燃やす」と減容を強調。「村内に埋設処分したらどうか」との意見の出たが、菅野村長は「非常に斬新な案だが、村民の皆さんがOKするだろうか」と否定的な見方を示した。

 蕨平の仮設焼却炉に関しては「わが家は直線で3・5km。安全性を担保するようなデータが無い」との質問が出たが、環境省は「巨大なフィルターを二重に取り付けている」と安全性をアピールした。

 「仮設住宅にはいつまでお世話になれるのか」。女性からの質問に、菅野村長は「残念ながら法律は1年ごとの更新で、寄り添っていない。努力はしていきたいが、土地を借りているので相手の事も考えなければいけない。5年も10年も、ということはあり得ない」と答えた。福島県の担当者は「国と協議中。夏までには2017年4月以降も延長出来るかどうか示せるのではないか」と語った。避難指示が解除されれば、強制避難者も自主避難者になるのだ。
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帰還への不安や不満が噴出した住民懇談会。

ウクライナやベラルーシ訪問から帰国したばかり

の長谷川健一さんは「安全性の担保が欲しい」

と強調した=伊達市・保原市民センター


【「私だって一生懸命やっている」】

 安全性と復興支援ばかりが強調された懇談会は、11日夜に福島県青少年会館(福島市黒岩)で開かれて終了する。国側は6月にも7月1日からの長期宿泊と2017年3月での避難指示解除について方針を示すものようだが、もはや結論は出ていると言って良い。ちなみに、避難指示解除は「村と村議会が国に要望した」という形になっている。

 懇談会終了後、取材に応じた菅野村長は、私に報道への不満も口にした。顔は紅潮していた。

 「特に外から来た記者は、声の大きい人、騒ぐ人だけを取り上げて、それがあたかも全体の意見であるかのように報じる。いろんな角度から見て欲しい」

特に「間違った報道」という言葉が気になり、私は尋ねた。「間違った報道、とは村長の意に沿わない報道という意味か」。菅野村長は苦笑した。「いろんな角度から書いて欲しいという意味ですよ。意に沿わない報道にいちゃもんをつけるほど、私はケツの穴の小さい人間じゃありませんよ」。
 今秋には村長選挙がある。避難指示解除に合わせて村内での学校再開を打ち出す(最終的には2018年に延期)など、菅野村長の強引な手法には「声の大きい人」ならずとも批判的な見方が強い。4年前は原発事故直後の混乱の中で無投票に終わったが、今回は選挙戦を模索する動きが水面下で続いている。

 「避難指示が解除されたって課題は山積です。いったい誰が国や東電とケンカするんですか?私だって一生懸命やっているんですよ」
 そう言って菅野村長は私をにらみつけた。「一生懸命」に敬意を払いつつ、こんな村民の言葉を贈りたい。

 「村長なんだから、一生懸命やるのは当たり前だべ」




(了)