高校の恩師が亡くなりました。

 

高校を卒業してから

もう何年も経っているし

恩師もそれなりに高齢で

 

10年くらい前に

癌を患ったことからも

なんとなく覚悟はしてましたけど

 

なんというか

本当に縁が切れた感じがして

やっぱりショックでした。

 

恩師は体育の先生で

部活の顧問でした。

 

 

平泳ぎの足ができなくて

何度も居残りになり💦

 

ついにサジを投げられ

「お前はこれで許す」と

バタフライの足、ドルフィンキックで

なんとか単位をくれたという💦

 

なのでいまだに

平泳ぎはドルフィンキックでしか

進めないです。

 

 

部活はハンドボールやっていました。

 

友人に連れられて

なんとなく見学に行き

なんとなくそのまま入部

 

メチャクチャ後悔することに💦

何しろ昭和ですからね。

 

水を飲んだら走れなくなるからと

ダメと言われてました。

こっそり飲んでもバレます💦

 

 

「極限まで」やらされたこも

理不尽なことも

 

今じゃ絶対ありえないくらいの

ハードさでした。

 

おかげで、「極限の先」の

「限界」を幾度となく目にしました。

 

 

そのせいか、

自分が疲れているという自覚がなく

「極限」まで頑張ってしまい

 

気がつくと高熱を出して点滴。

 

40代前半まで

そんな感じでした。

 

同期の友人たちも

似たりよったりで

 

「点滴うって仕事に」でした。

 

昭和ですね💦

 

 

私の場合

バンコクで暮らしたことで

このあたりは脱出できて

「極限」までいかなくても

 

いい感じのところで体調をこわすので

病院のお世話にならずに

済むようになりました。

 

まあ、年齢的にも

ムリがきかなくなったのもありますが。

 

 

こう書くと「恩師の教え、どうなの?」

ってなりますが

 

若い頃はムリをしてでも

頑張らなきゃいけないこともあった

 

と、今も思っています。

 

時代的なこともありますしたしね。

 

 

そんな恩師の他界は

私の中の一時代の終わりを

告げられたと感じました。

 

私のように地元を離れていると

なおさらです。

 

高校時代の友人とは

今でも付き合いはありますが

会えるのはせいぜい

年に1回程度ですからね。

 

今まで、

定期的に開催されていたOB会も

今後は減っていくかもで

 

といっても東京に来てからは

ほとんど参加できてなくて

 

今回のお通夜やご葬儀さえも

地元の同期に

お願いしたくらいで

 

駆けつけられない分、

お花も頼みましたが

 

本当に縁が切れた思いです。

 

 

縁を繋ぎ続けるかどうかは

自分次第なんですけどね。