二日目のお宿・雄踏温泉THE HAMANAKOさんで朝食を済ませて
(夕食の写真はワインとおしゃべりに花が咲き、撮り忘れました)
三日目の今日はシエルマよしご(愛知県田原市=渥美半島)に。
先ずは吉胡(よしご)貝塚資料館を見学。
下の写真。
貝塚発掘のレプリカ。この視点だと見学者は地上から
発掘された穴の中を見ている構図。こういう展示方法も珍しい。
下の写真。
死者埋葬の様子。
手足を縄で縛って形を整えて屈葬し、頭に赤い粉をかけています。
赤い粉の意味は魔除けでしょうか。
では、外に出てみましょうか。
広大な田んぼが広がっていますが、かつては縄文人たちが住んでいた所です。
下の写真。
人骨だけで300体発見され、それは貝塚の中から発見されています。
貝塚というと食べ終わった食材のゴミ捨て場のイメージがありますが、
この吉胡の縄文人たちは貝塚を「もの送りの場所」と捉えて
「命を終えたもの=役割を終えたものたちを葬り、再びこの世に戻って来る事を願った場所」
と考えていたようです。
貝塚の中から発見された人骨(レプリカ)。周りの壁は貝殻。
吉胡貝塚のある渥美半島は、向かいの知多半島とまるで蟹の爪のように向かい合っています。
蟹の爪の間に三河湾と知多湾があり海の幸には事欠きません。
ここの縄文人たちはリッチな食生活をしておりました。
余談ですが、渥美半島の付け根にある都市は豊橋で、知多半島の付け根には刈谷があります。
この2地点にある戦国の城は、吉田(豊橋市)、岡崎(岡崎市)安祥(安城市)、知立(知立市)刈谷(刈谷市)
もう少し範囲を広げれば、長篠、新城、鳴海、名古屋・・・と、今川義元さん垂涎の地域です。
渥美半島の東は遠州灘、知多半島の西には伊勢湾が広がり、食料と港を確保するには絶好のロケーションですね。
穏やかに暮らしていた吉胡の縄文人たちが聞いたら、戦国の争いをさぞ悲しむことでしょう。
(続く)