家康さんの正妻・築山殿と長男・信康とが武田方と繋がって、
「徳川は信長ホールディングズから抜ける」と思われ、
信長さんから二人の成敗を「是非に及ばず」と言われた家康さん。
徳川存続のために断腸の思いで苦渋の決断をしました。
というのがこれまでの解釈でした。
しかし、河合敦先生によると最近の研究では、
武田組と徳川組とが対立する”一種のお家騒動”だという考え方のようです。
どうであれ、家康さんの最終決断で2人の命が消えたわけで、
家康さんは築山殿の死を悼み「死なずとも女のことなのでこっそり尼寺にでも送れば・・・」
と漏らしたそうです。
ドラマでは、成敗されるのは替え玉で、当人たちは他所に匿われるという算段でしたね。
けれど、二人は自害してしまいました。悲しかったですね。
下の蟹の写真。
実際に家康さんが着用していた湯帷子(ゆかたびら=ゆかた)の柄です。
その柄を表紙にした一筆箋で、名古屋の徳川美術館で買いました。
築山殿はこの柄のピンクの着物、信康の子供たちもこの柄の着物を着ていました。
ドラマを視る時、こういう細かい部分を観察するのもまた、面白いものです。