その①嫉妬で書きました桐壺帝に愛された桐壺の更衣。(光源氏の生母)

更衣という身分は妻の中では低いのですが、父親の按察使大納言(あぜちだいなごん)が他界し、経済力のある兄弟も親戚もなく、全くの母子家庭からの入内(じゅだい)だったので、経済力の無い貴族の娘ということで更衣という低い身分扱いになったのです。

 

 その低い身分だけれど美しさゆえに陰口、悪口を言われ、加えて帝の寵愛を一身に受けたので、傾国の美女だと白眼視されるに至りました。ああ、美しいことは罪悪であろうか。

 

 何といっても後宮は女の世界。帝の寵愛を受け、皇子を産むことで実家の地位が決まってくるのがこの時代。女たちは実家の命運を背負って入内してくるのです。

 既に皇子をもうけている帝の正妻・弘徽殿の女御(こきでんのにょうご=右大臣の娘)を始め、他の妻たち、とりわけ同じ階級レベルやそれ以下の更衣たちは桐壺の更衣ひとりが寵愛されるのは面白くありません。

彼女たちは嫉妬の炎を燃やし、それがイジメとなりました。

 

 例えば、更衣の通り道に汚物をまき散らす、部屋にネズミの死骸を入れられるなど低レベルなイジメが繰り返されました。

 最初は我慢していた更衣。

帝も見かねて更衣の部屋を自分の寝所の近くに移し、もともとその部屋に住んでいた女を別の部屋に引っ越させたことで、その女からは恨まれ、イジメは益々過酷になりました。

 

 遂に桐壺の更衣は病い勝ちになりました。身体的不調を訴えても帝は更衣を手放そうとせず、愛し続けたことで更衣は懐妊し、光り輝くような美しい皇子を出産しました。これが後の光源氏です。

 

 イジメは度を越え、呪いの形代(かたしろ=呪いのワラ人形のようなもの)や文が投げこまれるようになりました。それでも更衣は母として3年耐えましたが限界を迎えました。

 現代でいうノイローゼやウツ、心神耗弱状態となり、実家の母親が宿下がりを願い出て、やっと後宮を出られることになりました。

 更衣の身分ではありますが、皇子を産んだことで扱いはランクアップし、輿を用意されボディーガードを付けての宿下がりです。これもまた、女たちの悪口のタネになりました。

 

 宿下がりをして実家に戻った更衣は間もなく亡くなりました。

弔問には帝の使いが訪れ(これとて異例なことです)、母親は使者に「もう少し帝が娘の事を思いやってくれたなら」と悲しみを漏らします。

 

 桐壺の更衣の性格には、つつましく心身ともに美しく、他人と争う闘争的というか勝ち気なところがなく、ただただ流れに身を任せてしまうおとなしさが見えます。イジメや嫌がらせ、陰口悪口に耐えているうちに、それが自らの身心を蝕んでいった哀れさがあります。